今、多くの人が『答え』を求めている

岡本 昨今は哲学が一種のブームのように世間的には言われていて、その一因が『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』という本の存在だと思うのですが、岸見先生は世間の反響の大きさをどのように感じていらっしゃいますか。

岸見 もともと哲学というのは敷居が高いのだと思います。初めから「難しいもの」というイメージを持っている人が多いですよね。でも『嫌われる勇気』が出てからは、哲学の本を読んだことがない人にも手に取ってもらえて、それだけ裾野が広がっているとは感じます。私はツイッターをやっていますが、「何ページの、○○についてなんですが……」と詳細な質問を投げかけられることもあります。今はそういう時代なのですね。

岡本裕一朗(おかもと ゆういちろう)
1954年、福岡に生まれる。九州大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。現在は玉川大学文学部教授。西洋の近現代思想を専門とするが、興味関心は幅広く、領域横断的な研究をしている。 著書に『フランス現代思想史―構造主義からデリダ以後へ』(中公新書)、『思考実験―世界と哲学をつなぐ75問』(ちくま新書)、『ネオ・プラグマティズムとは何か―ポスト分析哲学の新展開』『ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち』『ポストモダンの思想的根拠―9・11と管理社会』などがある

岡本 私の感じでは、哲学が求められる背景には「時代が根本的に変わり始めている」ということがあるように思われます。今までの発想というか、従来の見方では捉えきれない問題がたくさん出てきて、思考とか、捉え方に関する“揺らぎ”のような感覚を持っている人が多いように思います。私の本でも人工知能、バイオテクノロジー、宗教などを取り上げていますが、さまざまなジャンルにおいて、従来型の理解では処理しきれない事柄がたくさん出てきて、一つの叩き台として、もっと別の考え方であったり、ものの見方を求めているように感じます。

岸見 哲学が求められている社会の状況という点では、私は岡本先生とは違う捉え方をしていて、昔から人はそんなに変わっていないと思うのです。私がやっているのは古代ギリシア哲学ですから、紀元前5世紀の話をしているのですが、時代を超えても、地域を越えても、受け入れられる。それは人間がそれほど変わらないというか、ずっと解かれない問題があるのだと思います。さきほど話した「人間は死すべき存在だ」ということもそうですし、そういった本質的なところで、疑問を感じている若者は多いのだと思います。
『嫌われる勇気』は韓国でも出版されていて、韓国の若者の前でも何度も講演しているのですが、彼らも悩んでいる。例えば、「自分の人生を生きなければいけない」と思っている一方で、親も無視できない。そんななかで「どうしたら親孝行ができますか?」なんて質問が出てくるのです。そんなふうに板挟みになって、迷っている若い人たちがたくさんいる。それは韓国でも、日本でも同じでしょうね。
 そして、彼らは答えを求めている。でもこれは難しい問題で、哲学に答えを求めていいのかということもあります。哲学というのは「愛知」すなわち「知を愛すること」であって、「知」ではないので、本来的に答えは出ない。残念ながら、自動販売機にコインを入れて、ジュースが出てくるみたいに答えは出ない。
 だから哲学に対して興味を持っても、離れていく人はいると思います。その一方で、「問いを探究する楽しみ」「そこに意味がある」ということに気づいた人は、これまで自分が接してきた学問とは違う哲学というものを受け入れられると思います。

岡本 たしかに、多くの人が答えを求めている、ということに関しては私もすごく共感できます。よく「日本人は答えを求めすぎる」と言われますが、それは日本に限った話ではなく、万国に共通するものだと思います。
 岸見先生の本を読んでいて感じるのは「ただ、わからない」「答えがない」というだけではなく、その場、その場においては力強い“答えのようなもの”をきちんと提示されている。そこに多くの読者が、一つの示唆を得ているのだと思います。でもそこで「わかったつもり」になっても、再び問いの中に入っていく。こんな哲学的な繰り返しが本のなかでも体現されていると感じます。
 岸見先生は、歴史的に変わらない問題、人間の本質の部分を取り上げられていて、私はどちらかと言うと、歴史的に変わっていく事柄を取り上げながら、哲学という思考のメガネを通して考えていく。それはどちらも哲学のあり方だと思いますし、そんな二つの側面が多くの人に受け入れられて欲しいと、私は願っています。

(後編に続く)※12/28公開予定です