しかし、いくら政治の劣化を嘆いてみたところで、それで一体何が変わるというのだろう。また、「覆水盆に返らず」という言葉があるように、お粗末な内閣不信任決議案の顛末をいくら精緻に分析してみたところで、済んだことは元には戻らない。私たちは、今、この国の政治が置かれている、この地平から出発する以外に方法はないのだ。私たちが、変えられるのは過去ではなくて未来しかないのだ。この自明の原点をみんなで再確認しようではないか。

再出発の原点を党代議士会での
首相発言に求めるべきだ

 菅首相は6月3日午後の参議院予算委員会で、続投意欲を示しつつも「公開の代議士会で発言した。この通りのことを考えている」と公言している。そして、同趣旨の発言は繰り返されているようだ。そうであれば、党代議士会での首相発言を議論の出発点に求めるべきではないか。そう考えた場合、基本的な論点は2つしかないと考える。

 1つは「大震災に取り組むことに一定のめどがついた段階」とは何時かということだ。実は、党代議士会での首相発言には伏線があった。その直前に、菅首相と鳩山前首相は次のような覚書を交わしていたのである。

1.民主党を壊さない
2.自民党政権に逆戻りさせない
3.大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つ
   「復興基本法の成立」「2次補正予算の早期編成にめどをつけること」

 この文書を率直に読めば、3.にわざわざ細目が書き込まれていることからも、この2つが退陣の時期を想定したものであると解することが自然なようにも思われる。もちろん、このような私文書で政権を云々することは、民主主義とはおよそ相容れないものであり、また、政治家同士の合意には常に玉虫色の解釈が付き纏うこともまた事実である。

 しかし、翻って考えてみれば、菅首相の退陣時期は、メディアがこぞって大騒ぎするほどの重要事項なのだろうか?いったん、退陣を口にした政権がレームダックとなり、日に日に求心力が衰えて行くことは世の習いである。「一定のめどがついた段階」は、政治力学の中で自ずと定まってくるのではないか。現に、この夏の退陣もしくは6月中の退陣という観測がまことしやかに囁かれている。