
カナダのカナナスキスで開かれたG7サミット(先進7カ国首脳会議)は1975年、フランスのランブイエで第1回会議が開かれてからちょうど半世紀、50年の節目に当たった。日本から出席したのは首相の石破茂。第1回の出席首相は三木武夫だった。党内野党的な立場からトップリーダーになった2人には相通じるところがあり、石破のサミット出席にはどこか因縁を感じる。ましてや石破は昨年10月の衆院選挙での自民、公明の与党大敗の結果、少数与党としての再出発を余儀なくされており、サミット出席は奇跡に近い出来事と言っていい。石破は周辺にこう語っていた。
「全て森山(裕)幹事長のおかげだ」
確かに、特別国会での首相指名選挙に始まり、“関門山脈”と言ってもいいような退陣と紙一重の状況を切り抜けたのは森山の政界人脈と用意周到な野党対策なくしてはあり得なかった。
国民民主党とは「103万円の壁」、日本維新の会との「高校授業料の無償化」、そして野党第1党の立憲民主党とは、代表の野田佳彦が強いこだわりを持つ年金制度改革を巡る自公立3党による協議の場を設けて改革法の成立にこぎ着けた。つまり主要3野党との個別パーシャル連合の実現が、結果として野党分断に結び付いた。