無名の人が出てきても一向に構わないではないか。政見の内容がしっかりしており、実行力が兼ね備わっていそうであれば、たとえ無名であっても、その人が、わが国の新しいリーダーになるべきではないか。大連立云々も、むしろ、政権党が新しいリーダーをきちんと手続きを踏んで選んでからの話ではないのか。
歴史を紐解けば、無名の人が英雄や大政治家に大成する事例の方が多いと思われるのだ。フランス革命のエネルギーを背景に大帝国を築いた稀代の英雄、ナポレオンは無名の下士官だった。また、アメリカのオバマ大統領は、上院議員をわずか1期しか勤めていない。このように、フランスやアメリカでできることが、わが国でもできないはずがないではないか。
付言すれば、わが国の政治家の多くは、与野党を問わず、極端に世代交代を恐れているように見える。これは、1940年体制下の歪んだ年功序列社会の発想(残滓)が、この国にまだ色濃く残っているからに他ならない。例えば、(政界より合理的であるはずの)企業社会でも、若い世代がリーダー(社長)になると、そのリーダーより年長の幹部は、ほとんどの場合そのポストを追われることが通例となっている。要するに、新しいリーダーを頂点とした年功序列ピラミッドが新たに作られると云う訳である。これが、世代交代を妨げる仕組みの1つとなっているのだ。
しかし、このような発想は、ガラパゴス的であって、世界ではむしろ特異なものである。一例をあげれば十分であろう。この6月末に辞任するゲーツ国防長官の後任として、40代のオバマ大統領が選んだのは73歳になるパネッタ氏だった。適材適所に年齢は関係がないのである。同様に、この国に40代、30代の首相が就任しても、直ちに年長者がポストを失うことにはならないのである。
(菅首相、鳩山前首相の発言に関する内容及び両者の間で交わされた覚書の内容については、いずれも2011.6.4の朝日新聞朝刊から引用した。なお、文中、意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である)