かつてこんな蕎麦屋はどこにもなかっただろう。蕎麦は香りの強い、本格的な十割蕎麦。その蕎麦をクリームソースにつけて食べる「カレークリーム鴨せいろ」は蕎麦の美味さをソースが引き立てる。他にも蕎麦の白レバのつけ汁の「肝せいろ」、「花巻クリーム蕎麦」などフレンチと蕎麦のマリアージュに度肝を抜かれる。フレンチと蕎麦料理の新しい可能性を拓いた「庵 浮雨」で、その未体験の味わいに酔いしれよう。

浦和駅からほど近いレトロな飲食街に
これまで見たこともない蕎麦を出す店がある

 JR浦和駅からデパートの裏側に入って3分くらい歩くと、少しレトロな飲食街がある。周辺の繁華街から取り残されたような雰囲気の通りには、とても手打ち蕎麦屋があると思えないが、実はここに他では絶対に味わえない蕎麦を出す店がある。

浦和駅からほんの数分、少し時代から遅れたようなレトロな飲食街にある「庵 浮雨」。店名の由来はフランス語の“un peu”(「ちょっとだけ」の意味)。

 2009年9月開店の「庵 浮雨(あん ぷーうー)」だ。店内にはカウンターが6席、テーブルが2席あり、ビストロのような気軽な雰囲気だ。

 亭主は熊谷春匡さん。そのいでたちは帽子を被り、ネクタイにロングエプロン。昔風に言えば歌舞伎者のような格好で客を迎える。

 この店ほど開店して、話題を集めた蕎麦屋はなかったかもしれない。その理由のひとつは亭主の修業先があの神田須田町「眠庵」だったからだ。熊谷さんは客から“はるちゃん”と呼ばれ、親しまれ、4年間、超人気店の忙しさを下支えしてきた。

店は存外に狭い、ビストロの雰囲気だ。亭主が客の顔を見て、手の掛かる蕎麦料理でもてなそうとするレイアウトになっている。

 眠庵の亭主は、若手蕎麦屋の中では兄貴分的な存在で、現在の人気店の蕎麦屋の亭主たちが彼の元に集まってきていた。

 弟子の熊谷さんも、そのグループに混じって、蕎麦について学んでいたようだから、そんな恵まれた環境で、蕎麦屋になる準備を自然に身に付けたいったのだろう。

 熊谷さんが屋号に選んだ「庵 浮雨」。その由来は、フランス語の“un peu”(「ちょっとだけ」の意味)だそうだ。これは、フレンチでの料理言葉としても使われる言葉で、「眠庵」が志向してきた日本人の懐古趣味性を刺激するイメージとはまるで違ったものだった。

 その屋号の通りにというべきか、熊谷さんはこれまでに聞いたことも、見たことも無い蕎麦をフレンチの技術を駆使して、次々に創作してきた。その技術は、熊谷さんが「眠庵」に入る前、10年余りもの修行を積んで身につけたもので、「眠庵」の頃から熊谷さんを知る客でさえ、その料理に触れるまで、熊谷さんがフレンチの修行をしていたことは知らなかったという。