『殺し屋のマーケティング』は
「3つの交点」を求めた

 小説『殺し屋のマーケティング』の制作を決めたときに、僕の念頭にあったのは、この吉祥寺「小ざさ」の「幻の羊羹」だった。
 そして、それを作り出した稲垣氏の覚悟だった。

「幻の羊羹」を作るような覚悟で、『殺しのマーケティング』の世界を構築しようと考えた。

 僕が目指したのは、今まで誰も成したことのない、「ミステリー」と「マーケティング」と「人間ドラマ」の「3つの交点」を捉えることだった。
 そう、「幻の羊羹」が、ポクポク、ネチネチ、プリプリ、スーッの「四つの交点」を目指したのにならったのだ。

「ミステリー」×「マーケティング」×「人間ドラマ」=「3次元小説」

 言うは易く行うは難しかった。だから、想定以上の時間と労力がかかった。
 企画から完成まで、4年の歳月を要した。

 最終的に出来上がった原稿のファイル名は、「殺し屋のマーケティングver.4.5.3.B」だった。
 つまり、4回すべて初めから書き直し、4回目に書いた原稿をベースに、5回幕や章単位の大改編をし、3回表現や伏線の処理などについて、全体改稿し、AとBの本編の2つの結末を検討した中で「B」の結末を選択したという意味だ。
 完成稿は、およそ19万6000字だったが、それまで費やされた文字数は少なくとも100万字以上、400字詰原稿用紙に換算すると3250枚にも及んだ。

 通常、1冊の本にこれだけの時間を費やすことはない。
 ただ、僕は吉祥寺「小ざさ」の「コンテンツ」に対する覚悟にならいたかった。
 その結果として、今、『殺し屋のマーケティング』は多くの方に受け入れられようとしているのだろう。

 けれども、稲垣氏はこうも言う。

「究極のものを作りたいと意気込んではいけない。
 うまくいかなかったからといって、落ち込んでもいけない。
 お客様のために真心をこめてつくるのは当たり前のことですが、いざ羊羹を練るときは、私ひとりきりの世界。誰にも邪魔されずに、羊羹と向き合う瞬間です。唯一、無心になれる時間。いろいろな思いを引きずっていては、絶対にうまくいきません」(稲垣篤子著『1坪の奇跡』より)

 僕は、無心になっている若き日の稲垣氏の姿を想うとき、どうしても、何があってもくじけない『あしながおじさん』の主人公の少女の面影を思ってしまう。
 究極の味を求めること。
 それは、稲垣氏にとって、究極に楽しいことでもあったのだろう。