人間は比較した相手を憎んでしまう生き物
逃げたほうがよかったのか、残ったほうがよかったのか。どちらが正しいと断定できる問題ではありません。家に戻れない人は別にして、福島の状況をどう捉えるかについては人それぞれとしか言いようがないのです。
よく考えれば、同じ被災者でもまったく同じ条件の人は誰もいません。
私はこうなのにあの人は違うなどと比較しても意味がないのに、人は人、私は私と振る舞うことが、なかなかできないものです。
自分と他人を比較して「小さな違い」に一喜一憂するのは、被災地に限った話ではなく人間の根源的なことかもしれません。
旧約聖書「創世記」に出てくるカインとアベルの兄弟の話を覚えておられるでしょうか。カインとアベルは、ヤハウェという神に収穫物を捧げます。兄カインは農作物を、弟アベルは羊を差し出しました。しかし、ヤハウェはカインの捧げ物を無視してアベルの羊だけに関心を示します。すると、嫉妬にかられたカインはアベルを殺してしまうという話です。
興味深いのは、ヤハウェに不当な扱いを受けた兄カインが、弟アベルを殺すという行動に出る点です。普通に考えれば、なぜ私の捧げ物に関心を持ってくれないのかとヤハウェに文句を言うべき話にも思えます。
しかし、旧約聖書に書かれているのは、自分の状況を他人と比較して理不尽な思いをした人は、背景(この場合はヤハウェ)にあるものではなく比較した他人(この場合はアベル)が憎くなってしまうということです。