普段使っているお店やサービスが、どの企業によって運営されているのかは、さほど気にする必要がないことかもしれません。別にミスタードーナツがお掃除用品のダスキンによって運営されていようが、バナナ・リパブリックがGAPだろうが、製品やサービスが自分にフィットしていれば、大きな問題は起きないでしょう。

 では、InstagramがFacebook傘下のアプリである、と言われたらどうでしょうか?

InstagramがFacebookの傘下であることを
米国人の6割は知らない

 米議会の公聴会での証言を切り抜けたFacebookのマーク・ザッカーバーグCEO。筆者も2日間10時間にわたって100人近くの議員からの質問に受け答えするザッカーバーグ氏の模様を聞いていました。印象としては、驚くほど、議員さんたちがテクノロジービジネスやFacebookについて明るくなかったということです。

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米上院のサイトでは10時間にも渡る公聴会の模様が用意されていますが、一部分だけを見ても、噛み合わないやり取りが繰り広げられていることがわかります

 なんとなく、「得体のしれないものが、トランプ大統領を生み出してしまった。一体何が起きているんだろう」という雰囲気を感じてしまいました。

 そんな公聴会を経て、人々に驚きを与えているのが、タイトルにも書いた「InstagramはFacebookの傘下の企業である」という事実です。いくつかの調査がありましたが、6割の米国人はこのことを知りませんでした。

 Facebookは2012年に、7億1500万ドルでInstagramを買収しました。Instagramはその後、Android向けのアプリの開発を手がけ、2017年9月の段階でアクティブユーザー数は8億人。買収時の10倍に成長しており、今年にはアクティブユーザー数が10億人に到達すると見られています。

 写真をクールに共有するサービスとして出発し、Snapchatの勢力拡大を、大人気ない対抗機能の投入によって食い止め、若い年代を中心とした「ライフツール」として定着しています。

 今回Facebookのデータ流用スキャンダルが発生し、Instagramに逃避する流れが顕著に見られました。FacebookがInstagramを持っているとあまり知られていなかったからです。そこには友人との繋がりにフォーカスがあるFacebookは消せても、自分の作品や生活が記録されている、より個人的なInstagramは消せない、という違いもあったのかもしれません。

FacebookとInstagramは同じ広告ツールを使っている

 FacebookとInstagramはユーザーのデータを共有している。このことは容易に想像できるでしょう。InstagramにはFacebookアカウントとの連携機能がありますが、見た感じでは他のアプリの連携機能とさほど大きく変わらないように思います。しかし、広告機能で見ると、ユーザーのデータを連携させて、どちらのアプリでもターゲット広告を表示できるような仕組みがあるのです。

 Adobe Summitは、デジタルマーケティングのイベントから、デジタル体験のイベントへと変貌を遂げています。色々なテクノロジーがつながり、「人が何を見ているか」という広告の話から、「人がどこにいるか」という体験の話へと移行しており、その技術やトレンド、クリエイティブを推し進めている現場と言えます。

 そのセッションを少し覗くと、同じ人であっても、時間帯によって、FacebookとInstagramのどちらに注目しているかが異なると言います。

 たとえば、朝起きて通勤時間帯は、ニュースが見たいのでFacebookを見る。お昼間の時間は息抜きとランチの投稿もあり、Instagramを見る。夜家に帰ってきてパソコンを開いているときは、Facebookが主体となるといった具合です。

 見ていないときにその人にあった広告を表示させようとしても、そもそも見てもらえませんから、これは重要な情報と言えます。ただ、アプリの上でFacebookとInstagramを使っている人が同じ人だとわかることは、こうした高度な広告を作る上での最も基礎的な情報になり得ます。

 そこを握っているFacebookがいかに強みを持っているのか、見えてくるのではないでしょうか。

広告の挙動を楽しむ人も

 別にテクノロジーに詳しいというわけではない人がSNSを深く活用していくと、その広告がどうなっているのか、その一端を掴むようになります。一例として、小さな子供がいるママ友の間で面白い会話があったと教えてもらったので紹介します。

 このママ友たちは、それぞれ、FacebookやInstagramを活用しているのですが、その広告の傾向について話をしていました。「最近洋服ばっかり見てたら、服の広告ばっかりになった」「日本食が食べたくて、そういうインスタをフォローしまくってたら、和食の広告が出てくるけど、写真がどれもまずそう」といった話でした。

 実際はそのとおりなのですが、知識がなくても、なんとなく自分の行動が広告に反映されていく様子を理解していて、当たり外れ、その効果などを、メタ的な視点で楽しんでいる様子が面白いと思ったのです。そうした部分を「リテラシー」と呼ぶべきかわかりませんが重要な感覚だと思いました。

 たとえば、彼女たちは子どもの顔をFacebookやInstagramには決して投稿しません。鍵付きなので一般公開されないとしても、顔認識のデータベースに入ることを恐れているからです。一方でInstagramでは、子どもの後ろ姿をいかに印象的に切り取るか、という競争が行なわれており、制限の中で表現が磨かれる好例と言えるでしょう。

 Facebookアカウントを削除する、というのは過剰反応と言えるかもしれません。享受するメリットと抜かれていく個人情報を天秤にかけるだけでなく、個人情報を提供しない方法を考えたり知るだけでも、十分うまく付き合っていけるからです。

 そうした中で生まれたような特異な行動は、次の新しいサービスのヒントにもなり得るでしょう。


matsu

筆者紹介――松村太郎

 1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。米国カリフォルニア州バークレーに拠点を移し、モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。

公式ブログ TAROSITE.NET
Twitterアカウント @taromatsumura