「僕は大学を卒業していないんですよ。頭が悪くてダメ組で、中退してしまったので。なので、Jリーグでは珍しい高卒の社長になりますね」

 24歳で佐賀県に移り、36歳になる1996年に株式会社ナチュラルライフを設立。九州だけでなく北陸、関西、関東で「らいふ薬局」を展開している。見知らぬ土地で裸一貫の状況から事業を立ち上げ、県外にも乗り出していく過程では計り知れないほどの苦労を強いられたはずだ。

「僕は攻撃型の経営者なんですよ。だから守りの時には向いていないけど、今は乱世だと思っていますからね。今現在だけでなく5年後、10年後を考えて、しっかりとした目標を常に定めていく。例えば10年後にどのようなチームになっていれば鳥栖が生き残り、Jリーグの中で魅力あるチームになっているのかを考えれば、まったく違う世界が見えてくる。同時に夢も追いかけ続けます。いつまでも子どものような心をもった経営者でありたい、と思っているので」

 タフな生き様は株式会社サガン・ドリームスの非常勤取締役をへて、現職の代表取締役社長に就任した2011年5月以降のサガンの変化にも色濃く反映されている。地方の小クラブが毎年のように業績を拡大させてきた軌跡に、他のJクラブのトップが脱帽の言葉を残したことがある。

「竹原さんのお金の集め方はすごすぎる」

 Jリーグが開示している経営情報を見れば、竹原社長の就任1年目だった2011年度の営業収益は6億8900万円だった。翌年から戦いの舞台をJ1へ移し、今現在に至る中で、最新の2017年度の営業収益は33億5000万円に到達。実に5倍近い急成長を遂げている。

 サガンの前身、鳥栖フューチャーズは1997年1月に解散した。実質的な破産であり、存続を求める約5万筆の署名を受けて任意団体のサガン鳥栖FCとして継続したが、2003年と2004年にも財政難から消滅危機に直面した。Jリーグの鈴木昌チェアマン(当時)がこんな警告も発したこともある。

「このままの経営が続けば、Jリーグからの除名や退会勧告もやむをえない」

 冒頭で触れたようにホームタウンである鳥栖市の人口がJクラブにおいて最少で、ゆえにマーケティングも限られてくる。親会社を持たない地方クラブが背負う十字架を力強くはねのけ、J1で3度の優勝を誇るサンフレッチェ広島を営業収益で抜いた理由を、竹原社長はこう明かす。

「クラブの能力的に数多くのことはできないので、今年はこれだと選択した売り上げに対して徹底かつ集中的に取り組む。そうした努力をシンプルに積み重ねてきただけなんですよ」