サイボウズ青野社長がどん底で悟ったこと「全てを諦めたら腹が据わった」Photo by Masato Kato

サイボウズは創業してから、順風満帆な業績が続き、わずか3年で株式上場も難なくこなした。ところが、その先には苦労もあった。「あっという間に経営が傾いていった」と、青野社長は当時を振り返る。スタートアップの罠に陥ったのである。しかしその経験こそが、揺るぎない会社づくりの基盤となり、今日の成長に繋がっている。これまで知られてこなかった創業時の「挫折」と「奮起」の教訓を、青野社長に語ってもらおう。

 創業以来、順風満帆で株式上場も難なくこなしたものの、その先には奈落が潜んでいた。本当に、あっという間に経営が傾いていく。そんなとき、人はどのように考えて行動するのか、それが身に染みてわかった経験が私にもある。

 苦境の最中にいた十数年前、交差点で信号待ちをしているときに、私は「あのクルマが暴走して私をはねてくれないだろうか。そうすれば、会社の苦しみからも解放される」と本当に望んでいた。ハッと我に返ると、死を望むほど弱り切った自分に呆れ、うなだれて歩くことしかできなかった。

 しかし、あのときの経験がなければ、新たな「意志」との出合いもなかった。ある転機によって自分が生まれ変わり、リセットされた実感は、開き直りにも似た勇気をもたらしてくれた。そしてそのことが、「今の自分」を形作っているのだ。

愛媛の2DKに集結した3人
スーパーなほど順風満帆な創業

 サイボウズは、初代社長を務めた高須賀宣さん、現取締役でプログラム開発を担う畑愼也さん、そして私の3人で1997年に創業した。高須賀さんは私が務めていた松下電工の先輩、畑さんは大学の先輩でジャストシステムに勤めていた。

 私は松下電工で営業企画部門に配属されていたが、部門内のネットワークを管理する仕事も任され、パソコンやメールを全員が使えるよう取り組んでいた。その成果もあって、同僚たちの働き方は目を見張るように変わっていった。それを見られるのが楽しくて仕方がなかった。

 1995年になるとウェブ技術が普及し始めた。私たちは、ウェブ技術は企業内での情報共有に使えると考えた。情報共有ソフト、つまりグループウェアのアイデアだ。

 サイボウズ創業の地は愛媛県松山市の2DKマンション。本当は大阪で創業したかったが、家賃が高すぎた。畑さんが製品を開発し、高須賀さんがお金の管理や顧客サポートを担い、私は製品を売るという役割分担だった。