携帯電話網の調達で電電ファミリーではないグローバル企業が優位に立つようになった背景として、もう1つの歴史があります。それは過去、非常に長い期間、携帯電話の技術者は研究所の中で傍流だったということです。

 昭和時代、就職先の花形だった電電公社ですが、配属先として圧倒的に人気だったのは、まずは固定電話、次にデータ通信で、一番人気がなかったのが無線部門でした。エンジニアの間でも、人気だったのは伝送装置や交換機で、次にシステムやソフトウェア。無線部門のエンジニアに配属されると、新入社員は肩を落としたものでした。

 その理由は、1980年代くらいまで自動車電話や携帯電話を含む無線部門というものが、通信ネットワークではあくまで「緊急時のバックアップ」と考えられていたからです。それはNTTだけの話ではなく、世界的に同じ話で、傍流なので人気がなく、かつ技術的な蓄積にも一番歴史がない技術分野だったのです。

 フィンランドのノキアは、通信機器メーカーとして考えれば、ある意味欧州で一番存在感がないメーカーでした。しかし、傍流の技術分野が1990年代以降、世界の主流技術へ進化するという幸運が起きたことで、ノキアは成長します。結果的には、無線技術にフォーカスしていたノキアが、その勢いでルーセント、アルカテル、ジーメンスといった世界の名だたる通信技術の研究開発組織を呑みこみ、傘下に収めていくわけです。

もしも2000年代にNTTから
研究所がスピンオフしていたら

 NTTも、全体としては固定網の技術陣が主流だったがゆえに、移動体通信の技術に対する資源配分が潤沢ではありませんでした。いわんや、ノキアやファーウェイのようにグローバルに打って出るインセンティブは、持ち株会社の経営陣の間では大きくなかったでしょう。

 もし、2000年代にNTTの研究所がスピンオフして、NECないしは富士通と合併し、NTTと距離を置いたとしたら――。一番の成長分野である無線技術に力を入れ、今とは違う競争の流れができていたかもしれません。

 巨大だけれども国内事業に留まっているNTTの研究所であるがゆえに、技術力は高くてもグローバル製品に出て行けないエンジニア部隊。グローバル企業でありながら、研究開発をNTTに頼って来た通信機器メーカー。この2つの機能が分離していたことこそが、日本の通信機器メーカーがグローバル競争から脱落していった原因ではないか。今から振り返ってみれば、そう思うのです。

(百年コンサルティング代表 鈴木貴博)