“本質行動学の祖”ピーター・ドラッカーの功績

佐宗 ありがとうございます。僕が「直感」や「妄想」を重視している背景には、現代社会が「つながっていく社会」になったという事情があります。これは進化生物学などで言われる「動的平衡」などにも近いと思っているんですが、「つながっていく社会」では、つねにすべてが変化したり、動き続けたりしています。たとえば、Aというものを言語化した瞬間にAは過去のものになるし、また形式化した瞬間にAは古いものになります。

【西條剛央×佐宗邦威】環境に合わせて「自分を変える」が、もはやナンセンスになった[特別対談(後編)]佐宗邦威(さそう・くにたけ)
BIOTOPE代表。戦略デザイナー。京都造形芸術大学創造学習センター客員教授 大学院大学至善館准教授東京大学法学部卒。イリノイ工科大学デザイン学科修了。P&G、ソニーなどを経て、共創型イノベーションファーム・BIOTOPEを起業。著書にベストセラーとなった『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(ダイヤモンド社)のほか、『21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』(クロスメディア・パブリッシング)がある。

社会がある程度安定している時期は、それが「教養」や「常識」としてうまく機能していました。しかし変化が激しいために、新しいものを生み出すことを邪魔している場合があります。
いろいろな人がスピーディーにつながり、すぐに世の中に発信できるようになったことで、フィードバックのサイクルがものすごく早くなりました。早くなると、複雑系の科学では、試行回数を増やせる環境の中においては、ちょっとした初期変数の変化によって強化され、ものすごい差異を生み出します。

これだけ変化が激しくなると、個人レベルでは「外部環境に合わせて自分を変えられるか」ではもう戦っていけません。むしろ、外部の変化を受け流せるような「しなやかさ」を持っていることが最適であるような時代がやってきていると思います。

西條 まさにそうですね。まず認めなければならないことは、この世界が複雑系であるということと、人間も複雑系であるということです。これは単純な前提なのですが、たとえば経済学はそれを無視して、人間を単純系に位置づけています。経営学も同じで、最初から出発点を間違えてしまっていますね。しかし前提が間違っていると、その上にどれだけ精密に論理を組み上げても、「正確に間違える」だけです。つまり学問の根本的前提から「間違えている」ということがある。

「複雑系」をどう捉えるかというときに、カギになるのは“数量化の呪い”をどう克服するかだと僕は思っています。かつて登場した「複雑系の科学」というのは、「すべてを数量化しなければいけない」という“数量化の呪い”にとらわれていた。だからこの試みは、目立ったところでいえば「カオス理論」といった一時的なブームで終わってしまったようなところがあり、本当に複雑な人間的事象や社会的事象にはアプローチできなかったと思うんです。

人文社会科学の多くの分野では、事実を探求する理系の学問、たとえば物理学なんかのアプローチを真似してしまった。そんななか、現象学を立ち上げたフッサールのすごいところは、「人文社会科学は『事実学』ではなく『本質学』でなくてはダメだ」と「本質学」というコンセプトを打ち出したことです。

【西條剛央×佐宗邦威】環境に合わせて「自分を変える」が、もはやナンセンスになった[特別対談(後編)]

ただ、フッサールも「本質学」を体系化するところまではいきませんでした。僕の目からみると、その実践を見事にやってのけたのが、実はピーター・ドラッカーです。彼は「経営学の父」と呼ばれていますが、僕は彼を「本質行動学の祖」だと位置づけています。彼の著書はマネジメントの本質を言い当てているので、いまだに広く読まれているし、実際に現場でも役立っている。彼のやったことは、本来の「マネジメント・サイエンス」がやるべき道、進むべき道だったんです。ただしドラッカーも学問体系として体系化できたわけではなかったので、本質行動学として体系化し、それ軸にセルフマネジメントやチームマネジメントを学べる場としてEMSを創設したのです。