英国が財政再建を実現できた理由

 私は、EU離脱の是非を国民の判断に委ねる「国民投票」で決めようとしたこと自体が、英国にとって不慣れなことだったのではないかと考える。英国では従来、国民に「政策の成果を問う選挙」を行ってきたのに対し、国民投票では「将来への期待を問う選挙」をしてしまったことだ。

 この連載では、英国がデイビッド・キャメロン政権期に財政再建に一定の成果を収めることができた理由を、財政赤字が拡大する日本と比較して論じたことがある(第106回)。そして、その理由はキャメロン政権が10年5月の総選挙勝利で政権を獲得した後、15年5月の総選挙に勝利するまで、5年間一度も国政選挙を戦うことがなかったことにあったと結論付けた。

 10年の総選挙後に発足したキャメロン政権は、すぐに厳しい緊縮財政を断行した。首相の強力な権限で緊縮財政を断行するための制度改革を行い、消費増税や歳出削減を即座に打ち出した。厳しすぎる財政再建策は国民の厳しい批判を浴びて内閣支持率が低迷したが、首相の解散権を任期いっぱいの5年間封印する「2011年議会期固定法」を制定して不退転の決意を示した。

内閣支持率は低迷したが、緊縮財政策は次第に効果を表し始め、15年5月の総選挙が近づくにつれて評価を高めていった。その結果、キャメロン政権は総選挙で、地滑り的な大逆転勝利を収めた。

 これは、日本の安倍晋三政権とその財政再建への取り組みとは対照的だ。12年12月の総選挙で勝利して発足した安倍政権は、実に5回もの国政選挙を戦い、勝利を続けている。そして、「安倍一強」と呼ばれる圧倒的な権力と政治的リソースを獲得したが、それは、財政再建には使われてこなかった。

 安倍政権は、金融緩和・公共事業・減税という短期的な景気浮揚策や、政府による企業への賃上げ依頼などを繰り返してきた。「15年10月の消費税率10%への引き上げ」も先送りした。毎年のように、補正予算も組まれ続けた。