これに対して、議会の離脱派も残留派も、自説を延々と主張し、次々と議会に提出されるさまざまな案を否決し続けるだけだった。何とか過半数を得る合意案を探そうと調整する意思がまったく見られなかったのだ。

 要するに、メイ首相も議会も、妥協や譲歩を一切行わず、延々と論戦を続けて、最後に選挙で決着するという「政策の成果を問う選挙」の英国議会の従来のやり方を続けてしまった。だが、成果を問えないEU離脱問題は、政治課題としての本質が従来のものとまったく異なるものだということに、気づいていなかったと思われる。

 そもそも、国民投票は総選挙と違い、やり直しの規定がない。議会で自説を延々と述べて国民を納得させたとしても、それを問う選挙の機会がない。だが、メイ首相も議会も、そのことの深刻さがわからなかった。

 3月27日、議員提出の「代替7案」が全て下院で否決された時、議場には失望が広がったのではなく、大歓声が沸き起こった。議員は皆、結果がどうあれ自説を議会で表明できたことに満足していた。いつものように、議会制民主主義の本家本元らしく「議論すること」自体を楽しんでいたのだ。

「やり直し」ができない国民投票は慎重に

 日本でも、大阪府知事・市長クロス選挙で維新の会が圧勝したことから、大阪都構想の是非をめぐる住民投票が来年秋にも再度実施される見込みとなった(第208回)。また、安倍首相は憲法改正を悲願としており、国会がそれを発議すれば、国民投票が行われることになる。

 だが、国民・住民による直接投票という意思決定の手段は、その取り扱いについて慎重でなければならない。何より重要なのは、国民・住民投票には、総選挙と異なり一度決まった政策が間違っていた時に「やり直し」をする規定がないことだ。

 この連載では、「政策の間違い」に国民が気付き、体制の転覆という過激な方法を取らずに、それを直すことができるのは、民主主義だけであると主張してきた(第198回・P.6)。民主主義国では、すべてが国民にオープンだからだ。