なぜ「与える人」が成功したのか?

 まず、彼に関するありったけの情報をインターネットで集めた。ビルが身体能力の不足を、ハートで補ったことを知った。彼は178センチ75キロの小柄な体格で、高校のフットボール部の最優秀選手に選ばれた。

 陸上部のハードル選手が足りないと聞くと、コーチに協力を買って出た。彼はたいして高く跳べなかったからハードルをなぎ倒しながら駆け抜け、痣まみれで地区大会まで勝ち上がった。

 コロンビア大学フットボール部では主将に選ばれ、卒業後ヘッドコーチになったが、そこで6年連続負け越しの苦汁をなめた。何がまずかったのか? 彼は選手を大切にしすぎた。全力を尽くしている一般入学の選手をベンチに下げたがらず、スター選手に学業よりスポーツを優先しろとは言わなかった。選手がフィールドだけでなく、人生で成功できるように手を貸すのが自分の務めだと心得ていた。勝利することよりも、彼らが豊かな人生を送ることのほうが、彼にとっては大事だった。

 ビルがビジネスの世界に転身しようと決めたとき、扉を開いてくれたのは、昔のフットボール仲間だった。食うか食われるかのスポーツ界では弱みだったビルの人柄が、ビジネス界では強みになるはずだと、彼らは考えた。たちまちビルは頭角を現し、アップルの幹部やインテュイットのCEOとして辣腕を振るうようになった。

 私はシリコンバレーで並外れて心が広いと言われる人たちに会うと、いつも同じことを聞かされた──自分がこういう考え方をするようになったのは、ビル・キャンベルの影響だと。

 ビル本人をわずらわせたくなかったので、私はまず、彼をメンターと仰ぐ人々に連絡を取りはじめた。ビルを父と呼び、オプラ・ウィンフリーになぞらえる、多くの信奉者に電話をかけた。そして彼らに話を聞くたび、ビルと出会って人生が変わったという人たちのリストはさらに増えていった。そのなかに、本書の著者の一人である、ジョナサン・ローゼンバーグの名前があった。

 2012年に初めてジョナサンに連絡を取ったとき、彼は私たちのメールのやりとりをビルにCCで送っていた。そこでビル本人に断られたため、私の本の彼について書くはずだった章は──また彼がみずから成功しながらも、なぜあれほど人助けができているのかを探ろうとする私の取り組みも──そこで立ち消えになってしまった。

 それ以来、自分の利益を優先させる「テイカー(奪う人)」が報われると言われる世界で、彼がどうやって「ギバー(与える人)」として成功できたのか、また彼からリーダーシップとマネジメントについて何を学べるかを知りたいという思いは募るばかりだった。