人とは違う何かに挑戦し、時代を変えようとする若きイノベーターたちは、どう育ってきて、どんな原体験が今を支えているのか。今回は、クラウドファンディングサイトを運営するCAMPFIREの家入一真代表から、社会課題の解決に挑む事業に特化した子会社GoodMorningの社長に、25歳にして抜てきされた酒向萌実さんです。(聞き手/ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
自分で考えて決める子が
中学で不良になった理由
──どんな家庭で育ちましたか。
両親と弟の4人家族です。両親は共に、美大出身の建築士です。
父はゼネコン勤務で、帰りは遅いのですが、家にいるときもずっとスケッチしていました。母は当時、家で仕事をしていて、製図板をドンと置いて、やはり四六時中図面を描いている。二人ともすごく忙しそうだけど、楽しそうだなとは感じていました。
──教育方針のようなものは?
自分で考えろ、自分で言え、というものでした。外出先で「トイレに行きたい」と言っても「それで?」。自分でトイレの場所を聞いて行ってきなさい、と。
おもちゃも、なぜそれが欲しいのか親に説明して、認められると買ってもらえます。だから、親とは「説得する相手」でしたね。
小学校5年生のときには犬が飼いたくて、犬がいるとどんないいことがあるか、世話にかかる時間とお金など、ペットショップや犬の散歩をしている人に聞いて回って、画用紙にまとめてプレゼンしました。なんとか認められて、今もその犬は元気にしています。
──勉強しろとは言われましたか。
うちは、家族の勉強部屋があったんです。それぞれが背中合わせに座るように家族4人分の机が置いてある。晩ご飯が終わったら「さ、勉強部屋に行くよ」と言われて、そこで親は仕事、私たちは勉強するのが習慣でした。
勉強用の教材は、“本屋の日”に買ったものです。定期的に本屋の日とかビデオの日というのがあって、本屋さんやレンタルビデオ店に家族で出掛けて、そこで好きなものを選べるんです。自分で選んだドリルを、1日何ページずつ、何カ月で終わらせるのかといった計画を立ててやっていました。
おしゃれが大好きだったんですが、服を買うときも、母から「今日はこの店で何着まで買っていいよ」という感じで、自分で選ばせてもらっていました。
──「自分で考えて決める」というのが徹底されていたんですね。中学受験はしなかったのですか。
そういう選択肢もあるとはいわれましたが、小学生のときは勉強よりもドッジボールとおしゃれが大事だったので、放課後は塾へ行くよりドッジボールがしたかった。それと、他人に決められた服を着るというのがどうしても嫌で、ちょうど近所の公立中学が区内で唯一、制服がない学校だったので、自分でそこに行くと決めました。
──どんな中学校でしたか。
めちゃくちゃ荒れた学校でした。小学校の学区は一戸建てばかりの地域で、両親共に大卒で上場企業勤務みたいな、うちとよく似た家庭ばかりだったのですが、中学校で学区が広がって出合った文化は、それまでと全く違うものでした。