現代の希少価値は「問題を見つける能力」
山口:では、今の世の中において希少なものとはなんだと思いますか? 先に答えを言ってしまうと「問題を見つける能力」です。
これまでの時代は「正解を出せる能力」に価値がありました。なぜなら問題がたくさんあり、それらに正解を出せる人が希少だったから。つまり、「正解を出せる能力」が優秀さの証だったわけです。
昭和30年代に「三種の神器」という言葉が流行りました。三種の神器とは冷蔵庫、洗濯機、テレビのことですが、誰もがこれらの電化製品を欲しがった。「家で食べ物が保存できない。洗濯するのにわざわざ外に行かなくてはいけないから寒い冬は辛い。どうにかならないか」。
世の中がそういった問題を抱えていたから、三種の神器という正解を提示できた人たちが優秀な人材として重宝されました。そして、正解を出せる能力を持った人を見極める基準が、先ほど話した「偏差値」です。
「人を育てる仕組み」が変わらない理由
それから半世紀が経った現在、世の中は「正解」であふれています。逆に「問題」が希少になった。世の中が変わったにもかかわらず、優秀さの定義は半世紀前と変わっていません。なぜなら、人間の心は非常に保守的だからです。一旦優秀さの定義を決めて、そういう人を育てる世の中の仕組みを作ると、なるべく変えたくないんですね。
だから、「正解」が過剰になっているにもかかわらず、学校教育では問題を作るトレーニングをまったくやりません。問題を作るのは学校の先生の仕事で、相変わらず「正解」を出すと褒められる。
「優秀さの定義」に則って優秀な人材を生み出しているはずなのに、世の中になかなか価値が生まれないのは、実はこういったねじれ現象が起こっているからなんです。