――筆者のヤロスラフ・トロフィモフはWSJ外交担当チーフコメンテーター ***  祖父から電話がかかってきたのは、ちょうどスーツケースの詰め込みを終えた時だった。戻ってくることがあるか分からないまま荷造りするのは一仕事だ。電話口の祖父は「いまキエフを去ろうとするな」と声を潜めた。「一生が台無しになる。連中はこんなことを決して許さない」  1986年の4月が終わる最後の日だった。16歳だった筆者はキエフで祖母と暮らし、両親はニューヨークに住んでいた。ガールフレンドは商務次官の娘だったが、第153中学校にはもっとコネのある同級生も何人かいた。