「世界経営計画」のサブシステム
を生きるとは?
では、今日の本題に入りましょう。
はじめに、人間はなぜ生きているのでしょうか。
人間は動物ですから、まずごはんを食べることがなによりも大事です。
今から約3000年前に、中国の有名な管仲(かんちゅう)という政治家が、
「衣食足りて礼節を知る」という言葉を残しています。
でも人間には動物とは違って頭や心があるので、聖書には、
「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉があります。
人間は、ごはんだけでは生きていけない。
常に「やりがい」や「生きがい」を求める動物なのだと思います。
では、やりがいや生きがいとは一体何でしょうか?
僕は、世界経営計画のサブシステムを生きることだと考えています。
人間は周囲の世界をよくしたいと思う動物です。
周囲の世界を自分が経営してもっとよくしたい、町を美しくしたい、職場をもうちょっと楽しくしたい。
それをちょっとカッコつけていえば、「世界経営計画」と呼んでいいと思います。
みなさんが神さまなら、世界は瞬時に変わります。
「寝たきり老人はゼロになってほしい」と神さまであるみなさんが思えば、寝たきりの人はすぐに立ち上がって動きだすでしょう。
でも人間は神さまではないので、そんなことはできない。
つまり、世界経営計画のメインシステムを担うのは神さましかいない。
人間ができることは、
周囲の世界をどのように理解し、
どこを変えたいと思い、
自分は今のポジションで何をやったら
世界をちょっとでもよく変えれるのか。
これしか人間にはできないので、人間が生きる意味、生きがいとは、
世界経営計画のサブシステムを
担うことに尽きると考えています。
このように考えたら、世界を見ることがスタートになりますが、人間は全員、色眼鏡をかけて世界を見ています。
続きは次回にしましょう。
過去の僕の『哲学と宗教全史』全連載は「連載バックナンバー」にありますので、ぜひご覧いただき、楽しんでいただけたらと思います。