ダイヤモンド社より刊行がスタートした「EI(感情的知性)シリーズ」。その創刊記念イベント「働く私たちの幸福学」が11月2日(木)に開催され、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者・岸見一郎先生にご登壇いただきました。満員の参加者を前に、穏やかに、しかしときに熱く「どうすれば人は幸せになれるか」をアドラー心理学やギリシア哲学に基づいて語られた岸見先生。その講演内容を2回にわたってお届けします(後編は12月3日公開予定)。
また、同じく登壇された幸福学の第一人者で、EIシリース第一弾『幸福学』の解説をお書きいただいた前野隆司先生(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授)の講演録もこちらでお読みいただけます。

いまこの瞬間に我々は常に幸福である

アドラー心理学に基づいて幸福を語る岸見一郎
岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。世界各国でベストセラーとなり、アドラー心理学の新しい古典となった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』執筆後は、アドラーが生前そうであったように、世界をより善いところとするため、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』『幸福の哲学』などがある。

「幸福」は、古代ギリシア以来ずっと論じられてきたテーマです。最近また脚光を浴びているとのことですが、三木清という戦前の哲学者が書いた『人生論ノート』という本には、近年の倫理学の本から幸福論が喪失したと書かれています。三木は「我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではないか」と言っているのですが、幸福について論じることすら許されなかった時代だったのでしょう。

 その意味では、今日また幸福とは何かについて論評されるほど、幸せな時代になったということですが、逆に言えば、そういうことを論じなければならない、別の意味で大変な時代になっているのかもしれません。三木が言うように、健全な胃を持っている人が胃の存在を感じないように、幸福な人は幸福について考えないとも言えるからです。

 さて、古代ギリシア哲学者あるいはローマの哲学者は、次のように言っています。「誰もが幸福であることを欲している」と。それは「幸福を望まないという選択肢はない」ということです。私は別に幸せになりたくない、という選択肢はない。議論すべきは「どうすれば人は幸福であることができるか」だけなのです。

 そして現代、三木清は「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった」と言います。成功することが幸福になることだと考える人が多いけれど、自明ではないと三木は考えているのです。三木は「幸福が存在に関わるのに反して、成功は過程に関わっている」と言っています。

 成功するためには何らかの目標──たとえばいい学校やいい会社に入るなど──を達成しなければなりません。他方、幸福とはそういうものではなく「存在」である。つまり、何らかの目標を達成しようとしまいと、今この瞬間に我々は幸福で「ある」、ということです。人は何かを経験したからといって不幸になるわけではないし、幸福になるわけでもない。いまこの瞬間に我々は幸福であると考えます。これが最初の大切な話です。