ダイバーシティは、年齢・性別・人種・目に見える障がい……といった“可視的なもの”と、国籍・宗教・家族構成・価値観・性的指向……といった“不可視的なもの”があり、双方の混同で言葉自体が曖昧になりがちだが、「ダイバーシティ=多様性」と置き換えられるように、「さまざまなヒトの、それぞれの、あらゆる状態(側面)」と考えれば理解に近づける。

 「多様性」を同じく意味する「バラエティ」との違いは、「バラエティ」が主に「モノ」を表すのに対し、「ダイバーシティ」は「ヒト」に関わることと「オリイジン」誌では定義づけている(「多様な人が保有する多様な車」という表現では、前者がダイバーシティ、後者がバラエティ)。

 コロナ禍においては、外に出られない・人に会えないという障壁からさまざまな働き方や学び方が求められ、TwitterなどのSNSでも「多様(多様性)」というワードが目立つようになったが、そこには「ダイバーシティ」と「バラエティ」の明確な使い分けはさほど見られない。しかし、いずれにせよ、均一・同質・一様ではない、「さまざまなヒト・モノ・コトの、それぞれの、あらゆる状態(側面)」を、社会がポジティブに受け入れるようになったことは間違いないだろう。

“ダイバーシティ”な状態にある、6者6様の活動

 「年齢差(2つのユニット)」という可視的なダイバーシティにあるV6だが、グループの「長寿」の理由は不可視的なダイバーシティにあると本稿では考えたい。それは、メンバー6人のソロ活動領域の多様さであり、いわば、《経験値のダイバーシティ》だ。

 6者6様の活動領域をここでは列記しないが、メンバー全員がそれぞれの得意ジャンル(活動領域)を持ち、メディアも業界関係者も認める高い実績を積み上げている。

 ジャニー喜多川さんが、“多様な個の輝きから集合体(グループ)を創り上げる”天才プロデューサーだったこと、人材発掘・育成のプロフェッショナルであったことを前稿で書いた。

 企業や団体における組織で言えば、あるプロジェクトのために個別な能力を持つスペシャリストが集められ、仕事を首尾よくこなすようなものだが、ここで注視したいのは、V6の6人が“たゆまぬ努力によって活動領域を確立していった”という事実だ。25年前のデビュー時から、メンバーそれぞれが《ソロ活動領域の多様さ》を持っていたわけではなく、長年かけて持ち得るに至った。そうして、異領域における活躍をメンバー同士が認め合うことでお互いへのリスペクトが生まれ、グループの強固な絆が育まれているのではないか。

 「同じ組織にいるあの人はわたしにないものを持っている」――この実感こそが、ダイバーシティ&インクルージョンの種であり、イノベーションの花を咲かせることになる。同領域の活動からはジェラシーが生まれ、異領域からはリスペクトが生まれやすいことは、組織に属するビジネスパーソンなら得心できるだろう。