四半世紀以上前からインドのシリコンバレーと呼ばれてきたベンガルールでは、インド経営大学院ベンガルール校が、起業家が集まる拠点としてNSRCEL(The NS Raghavan Centre for Entrepreneurial Learning)を設立し、起業したばかりの人や予備軍に向けて、卒業生や教官がアドバイスしたり相談に乗ったりする、メンタリングプログラムを提供しています。
ベンガルール以外でも、デリー、グルグラム、ムンバイなどが、言わばミニシリコンバレーとして成長しています。インド工科大学(IIT)デリー校では、起業家育成機関(Entrepreneurship Development Cell)を設置し、事業アイデアを披露するピッチ(起業で実現したいコンセプトやアイデアを投資家に対して訴求する短いプレゼンテーション)を開催したり、OB・OG組織と連携して先輩起業家や投資家たちとのコミュニケーションを仲介したりするなど、起業支援体制が充実しています。
もう少し自慢させてもらうと、インドには優秀な人材の巨大プールがあります。工学・科学技術を専門とする16の国立大学の総体であるIITは、優秀な卒業生を多数輩出し続けており、GAFAをはじめ、オラクルやIBM、マイクロソフトなど、アメリカのIT企業はIITの学生の獲得にやっきになっています。
最近では、オラクルがインド工科大学バラバシ校の学生に年2030万ルピー(約4000万円)を提示したことが話題になりました。これに続いて、グーグルは1630万ルピー(約3200万円)、フェイスブックは1550万ルピー(約3000万円)のオファーをそれぞれIITの学生に提示しました。ちなみに、グーグルCEOのサンダー・ピチャイ氏、マイクロソフトCEOのサティア・ナデラ氏はいずれもインド人です。
こうした経済成長や産業の活発化に伴って、インドでもミドルクラス層が台頭・拡大してきています。
1人当たりGDPはいまだ2000ドル強ですが、中国同様、ミドル市場は育っているのですね。このようにインドは魅力的な市場であり、多くのチャンスを秘めているにもかかわらず、日印2国間の輸出入額や対インドへのFDI(直接投資)はそれほど大きくなく、しかも在留邦人は1万人弱です。実際、日本のビジネスパーソンの多くはあまりインドに詳しくありません。その一方、日本に進出したインド系IT企業は精彩を欠いています。ですが、スズキやホンダの例がよく引き合いに出されるように、インドと日本の産業界はもっと協力し、互いに成長できるように思えます。
おっしゃる通りです。実は、日印のパートナーシップは、アジアで最も急速に進展している関係の一つなのです。
日本とインドの関係は、宗教上のつながりを機縁として、8世紀に遡ることができます。ご承知の通り、仏教はインドから中国を通じ、日本にもたらされました。736年、インドの僧侶菩提僊那(ぼだいせんな)は仏教の布教のために来日し、聖武天皇が建立した東大寺の大仏の開眼供養会の導師を務めました。当時インドのことを、日本では中国に倣って「天竺(てんじく)」と呼んでいました。
天竺木綿という言葉が残っていますね。
また日本人であれば、「祇園精舎の鐘の声」というフレーズを誰でもご存じですね。平家物語や仏教説話に出てくる「祇園精舎」はヒンディ語でジェータヴァナ・ヴィハーラといい、釈迦が説法を行った場所として有名です。また、インド更紗や楽器の琵琶はインドから日本に伝来したものです。
19世紀には横浜港での生糸貿易が始まり、綿花の直接取引や砂糖の貿易も行われました。あまり知られていませんが、19世紀後半、タタ財閥の創立者であるジャムシェトジー・タタが来日しています。彼はその後、澁澤栄一と手を組んで、インド洋での欧州海上輸送に対抗するため、両国間の直取引を開始しました。日本の初めての遠洋航路である、インド航路の始まりです。これは、神戸─ボンベイ(現ムンバイ)間を結んだ定期航路でした。
日本は、初の円借款を1958年にインドに供与して以来、50年以上にわたり、インドの開発を支援しています。そして、日印間の商業関係が画期的に発展したのは、インドの自動車部門に革命をもたらした1980年代前半のスズキモーターの投資でした。日本企業の中でも「インド進出のパイオニア企業」「インド進出の成功事例」として幾度も取り上げられているのは、あらためて申し上げるまでもないでしょう。このマルチ・スズキ・インディアは、スズキの連結業績を牽引する海外事業で、同社はスズキ本体の連結売上高の約3割強、純利益の5割強を占めるまでになっています(2018年度実績)。