「空気を読む」ということが、大人であれ子どもであれ、暗黙のうちに「たしなみ」のように強要される世の中になって久しい。対面のコミュニケーションに限ったことではない。SNSが発達し、新型コロナウイルスによって仕事でも、プライベートでも、対面でのコミュニケーションが減る今日この頃であっても、「空気を読む」ことはますます重要な能力になってきている。
この意味での「空気」という言葉が一般化するきっかけとなったのは、おそらく、1977年出版の山本七平著の大ベストセラー『「空気」の研究』(現在は文春文庫)であろう。今回はこの50年近く前の本を読みつつ、「空気」について考えてみたい。

誰もがよくないと思いつつ
誤った意思決定をしてしまう

空気の研究『「空気」の研究』山本七平著(文春文庫)

 会議が空気によって支配され、明らかに間違った意思決定をしてしまった経験が、おそらく誰にでもあるにちがいない。会議でなくとも、何人か集まってものごとを決める場でもいい。そのとき、あなたはどんなふうにその会議に参加していたか?

 反論をしようと思ったのだが、とても言いだせないような空気が充満しており、何も言えなかった。または、勇気を出して重要なことを提起したのに、何事もないかのように全員から無視された。さらには、明らかに間違っていると(おそらく)全員が思っているのに、私を含む全員が賛成したということになって終了した………だいたい、こんなところではないだろうか。

 長年、リスクマネジメントの観点から企業の不祥事を扱ってきた私はこのような決定にはなじみが深い。空気に支配された会議は、全員の総意をもって、禍根を残す意思決定を行う。

『「空気」の研究』著者の山本七平氏は、そんな例として戦艦大和の出撃の意思決定をあげる。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和50年8月号の『戦艦大和』(吉田満監修構成)でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和)の特攻出撃は当然と思う』(軍令部次長・小沢治三郎中将)という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとに比べて、それを無謀とするに断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。」(以下、「」内の引用文はすべて『「空気」の研究』(文春文庫))

 山本氏は、組織には、論理的意思決定と空気的意思決定の二つがあり、明らかに後者のがほうが強いと言うのである。

「それ(空気的意思決定:筆者注)は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである。」