危機的状況にある組織で
「空気」はより抑圧的になる

 うんうんとうなずく人と、昔はともかく今の会社にはないですよ、という人に分かれるかもしれない。組織が成長過程にあり、業績も順調なときには、幸いなことに、このような非合理な意思決定はあまり行われない。

 しかし、会社が傾き、事業戦略の失敗が重なり、そこにさまざまな個人のメンツや部門間の利害関係などもからんでくると、組織には、隠したいことやごまかしたいことが増えてきて、会議にはえもいわれぬ“空気”が漂いはじめ、山本氏いわく「論理的判断の基準と空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)」の状況が発生する。

 あるいは、現代のような激動の時代、そのうえ新型コロナでそれまでの常識が覆されてしまうような異常な事態、そして、事業が壊滅的な影響を受けてしまうような危機的な状況においては、組織は「空気」の脅威にさらされやすい。

 こうした「空気」による意思決定については、現在では、行動心理学や経済学などの分野の研究によって、かなり科学的に解明されてきている。利用可能性(ヒューリスティックス)や、アンカリング、現状維持バイアスや、確証バイアス、またはゲーム理論などによって、当人の過誤またはプレーヤーの相互関係により、利益の少ない選択肢を選んでしまうことがあることは知られている。

 明らかに成算のない太平洋戦争の開戦についても、プロスペクト理論によって、確実な衰退(ジリ貧)と、ゼロではないがきわめて低い成功の可能性(ただし期待値は低い)を比較し、後者を選んだ可能性が高いことなどが解明されてきている。また、比較文化論の観点からも、本書をはじめとしたベストセラーになるような「日本人論」については、慎重に扱うべきであるという見方が大勢だろう。

 ともかく、日本型の集合的な意思決定による責任の分散があり、一人で全体に抗しえない状況が生まれると、集団での浅はかな意思決定が行われるのである。したがって、参加者の誰にも自分が決めたという自覚がない。皆で話している間に、多くの者が“それは良くない”と思いながら意思決定するのである。自分としては、状況がそうだったから仕方がなく賛成した(反対しなかった)だけに過ぎない。

 山本氏はこれを「状況倫理」と呼んでいる。この状況倫理を安易に許容する日本人、および組織に対して山本氏はかなり批判的である。状況に依存しない、相対的にもう少し確からしい善悪の基準があるはずだろうと言うのである。しかし、多くの日本人は、閉鎖された組織空間の中で生まれた状況倫理にふりまわされ、そちらを優先してしまう。