王様は裸だと言える人
KY発言が空気を破る
「戦前の日本の軍部と右翼が、絶対に許すべからざる存在と考えたのはむしろ自由主義者であって、かならずしも社会主義者ではない。あった事実をあったといい、見たことを見たといい、それが真実だと信じている。きわめて単純な人間のことである。」
状況を忖度せず、正しいと思うことを正しいといい、見たままのことを見たままにいう人間を警戒した理由は、このような単純な人間たちの一言、たとえば「先立つものがないなぁ(金がない)」といった素朴な雑感が、集団を我に返らせ、現実を直視し、作られた空気を変えるキッカケを生む可能性があるからである。これを「水を差す」行為として、「空気」への対抗策として山本氏は評価する。ちょっと前までよく使われた言い方を借りれば「KY」な発言がこれに当たるだろう。
現在の組織は、新しい技術を持った人、いろんな経歴を持つ人が集まっている。たとえば社外取締役に外国人や女性を数合わせのために入れることには意味がないが、本来、社外取締役というのは、人種や性別を問わず、社内の「空気」の抑圧のために、見過ごされている明らかな過ちを、組織(ひいては、その空気)の影響を受けない立場から空気を読まず(読めず)に指摘するのが役割であろう。いずれにせよ、空気に支配されないためには、閉鎖性が崩れることは大変良いことである。
また、心理学などの発展によって、組織が間違った意思決定を行うことを防ぐ手立ても生まれている。たとえば、より正しい意思決定をするために、あえて賛成、反対の2チームをつくって報告書を書かせる「レッドチーム」(ある対策が有効かどうか試すために、その対策を立てた側と敵対する考えを持つチーム)を利用する方法などである。組織のオープン化、意思決定手法の改善などで、新常態においては、空気に支配された間違った意思決定が減ると考えたい。
現代社会全般に
「空気」の抑圧は蔓延
次に、組織を離れ、社会全体の空気についても考えてみたいと思う。
昨今、人気俳優やメダリストらの不倫といった問題が社会的関心事となり、自分とは直接の関係をもたいないそれらの人への異常なまでの不寛容さが社会を覆っている。少し前までヒーロー、ヒロイン的な「善」の存在であったのが、SNSでの炎上などをともない、いきなり「悪」の象徴として社会的に抹殺されるような状況になってしまうのである。