「空気」と「絶対化」が
すぐに移ろうことが日本の底力
しかし、このようなくだりを読んでいて思い浮かんだのは、空気によって支配され、簡単になにものかが絶対化されつつも、すぐに絶対化の対象が移ろってしまう、このいいかげんさこそが、日本の底力なのかもしれないということである。
興味関心が揺れ動く。一瞬大きな力をもつが、すぐに忘れる。たとえば郵政民営化。あんなに盛り上がったが、いったい何だったのだろう。なんでもかんでもすぐに祭り上げ、手を出してみたかと思えば、次の瞬間興味の対象は移ろい、そのことは忘れて、次の関心事にまい進する。検証もほとんどしない。悪の権化もしばらくたつと許される(というか忘れられる。あるいは新しいキャラクターに変身したりする)。
しかしながら、この空気の先導によって何かしらが前に進む。今回の新型コロナの新常態において、一気にリモートワークが進み、ジョブ型人事や、法規制でできなかったオンライン化がある意味融通無碍に進む。深い思想など持たないし、全体や過去との整合性など何も考えない。そして、これらの変化のうち、うまく状況にフィットしたものは一般化して定着するが、合わなければ中途半端なままにとどまり、いつの間にか立ち消えになる。
この日本型の“いいかげんさ”を、私自身はずっと“絶対的に悪い”ことだと思ってきた。しかし、案外これこそが、日本社会を進化させ、結果として驚くべき柔軟さで変化に対応する日本社会の原動力なのかもしれない。生物の進化と同様、国家の進化も計画によるものよりも、行き当たりばったりの突然変異とその環境に適応した適者生存によって達成されているかもしれないのだ。新常態下における山本七平『「空気」の研究』の再読は、まったく予想もしなかったような発見を筆者にもたらしたのである。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)