「こんまり」こと近藤麻理恵は、今や「片づけ」プロフェッショナルとして、世界で最も知られる日本人の一人となりました。麻理恵さんの世界進出の戦略を手掛けてきたのがプロデューサーであり夫でもある私、川原卓巳でした。初めて書き下ろした書籍『Be Yourself』では、麻理恵さんと二人で歩いてきた「自分らしく輝く」ための道のりをご紹介しています。
今回は映画プロデューサーや作家として数々の大ヒット作を手掛けている川村元気さんとの対談。前編では、僕たち夫妻が活動の拠点をアメリカに移したことについて、無謀にも見えた挑戦を、川村さんは「リスクテイクのセンスこそプロデュース力だ」と分析してくれました(構成:宮本恵理子)。
無担保のチャレンジに挑んだこんまり夫妻
――川原さんの妻で片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんと川村元気さんの共作小説『おしゃべりな部屋』(読売新聞で連載中)が話題です。この作品のきっかけにもなったというお二人の出会いから伺わせてください。
川村元気さん(以下、川村):2年ほど前から米国での仕事が増えて、映画制作のためにロサンゼルスに頻繁に行くようになりました。すると行く先々で「KonMari(こんまり、近藤麻理恵さんの愛称)」の話題が出るんです。彼女の冠番組が動画配信サービスNetflixで大人気だとは知っていたけれど、本当にみんな観ているんだなと肌で感じました。
それで人づてに卓巳さんを紹介してもらって、ロサンゼルスのご自宅にもうかがったんです。すると卓巳さんがベロベロに酔っ払って……(笑)。
川原卓巳さん(以下、川原):滅多にないことなんだけど、元気さんが見ている世界、感じている世界を聞ける会話がおもしろすぎて、ついついお酒が進んでしまいました。その日は久しぶりに本気で麻理恵さんに怒られました(笑)。
川村:真面目に語っている姿と、ダメダメな姿の両面を短期間で見せてもらった。
川原:そういう戦略だったんですよ、元気さんと信頼関係を築くための(笑)。
川村:その後も、麻理恵さんと卓巳さんを、僕の友人の建築家・田根剛くんに紹介するために、パリで合流したり。すると卓巳さんは、しっかりとパリのテレビ出演も組んでいたんです、さすがだなと思いました。
川原:麻理恵さんの価値を世界中に届けるために、ムダなくスケジュールを組むのが僕の仕事ですから。
川村:僕はその時、映画『天気の子』のプレミア上演でパリに行っていました。お互いにちゃんと仕事をしていると、自然と縁も続いていくんでしょうね。
――川村さんは、日本での近藤麻理恵さんの活躍はご存じでしたか。
川村:もちろん知っていました。麻理恵さんの本(2010年に出版され、ミリオンセラーになった『人生がときめく片づけの魔法』)は買って読んでいましたし。
家の中にある持ち物に一つひとつ触れて、“ときめき”という基準で手放すか残すかどうかを決めるセオリーがとても印象的でした。メソッドよりも、シックスセンスを重視していることがとても印象に残りました。
その後、卓巳さんと麻理恵さんは渡米して、Netflixで大成功して、エミー賞にもノミネートされるなど大活躍されるわけですが、ここで重要な点を誤解している人が多いような気がしています。
つまり、二人はNetflixで当たったから渡米したのではなくて、まだ何も決まっていない時点で渡米した。つまり無担保のチャレンジだったという点です。それも、たしか最初に住んだのはサンフランシスコだったよね?
川原:そうです。