経済大国・日本をバックで支えているのは
安全で豊富な水、豊かな自然

 生まれは大阪府で、中学生と高校生の時は千葉県に住んでいました。東京農業大学に入り、探検部に所属して、モンゴルで洞窟を探検したり、チベットではメコン川の源流で川下りをしたり、日本でも全国の山を登ったりと、各地で探検をしました。自然の中で活動するのが好きだったんですね。

 大学を卒業し、その頃は就職氷河期でしたが、何とか英語教材を販売する企業に就職することができました。そこでは事務所内で電話営業を行っていたのですが、これまで世界中の自然を巡っていたのに、ずっと事務所にいて、人と話すのも電話でという日々にギャップを感じていました。

「探検と仕事の進め方というのは似ている部分があります」(青木氏) Photo by H.K.「探検と仕事の進め方というのは似ている部分があります」(青木氏) Photo by H.K.

 農大生の頃、足袋を履いて庭仕事の手伝いをしたりしていましたが、足袋で土を踏むという感触が忘れられず、このまま今の仕事をずっと続けていくのは難しいと感じ、1年ほどで辞めてしまいました。

 そこで初めて「自分はどのようなことがしたいのだろう」と考えた時に、モンゴルやチベットの高原にはほとんど森林がなかったことを思い出しました。でも日本にはこれだけ豊かな森林がある。日本というのは国土の7割が森林に覆われています。経済大国といわれていますが、それをバックで支えているのは、安全で豊富な水であり、それを育んでいる豊かな自然です。

 でも、山で働く人は減り、高齢化も進んでいる。日本の森林の約半分は人工林で、先人たちが私たちのために木を植えて育ててくれたのに、今では山の荒廃が進んでいる。そこに自分も何か関わりたい。自分の好きな自然に対して何か貢献できないだろうか? そう考えたのが林業に関心を持ったきっかけです。

 林業となると、通常は、秋田県や奈良県、京都府といった林業が盛んな地域に目を向けると思うのですが、大学の演習林が奥多摩にありよく訪れていたので、このあたりで何かできるといいなと考えました。

 当時、厚生労働省が緊急雇用対策事業というものを実施し、半年間限定の雇用を作り出していたんですね。その受け皿として、多摩地域の6市町村の森林組合(※2002年に合併し東京都全域を管轄した東京都森林組合となる)があり、私は第1希望を奥多摩に、第2希望を檜原村にしました。

 当時は「東京にも村ってあるんだ」と、檜原村のことはあまりよく知りませんでした。そして、たまたま採用していただいたのが檜原村の森林組合だったのです。そこから林業のキャリアがスタートしました。

 林業はおっしゃる通り、大変な印象があると思います。林業で新しいことを始めるというのは、人間関係を含め、いろいろなハードルもあります。でも、探検部の時に海外で危険な目に遭ったり、登山で大変な思いをしたりしてきたので、それに比べると「死ぬわけではない」とポジティブに考えられるんですね。

 それに、探検というのは、目標を定め、そのために準備を進め、トライ&エラーを繰り返し、困難を乗り越えながら目標へと向かっていく。探検と仕事の進め方というのは似ている部分があります。探検では、現地の人に協力を得るためには、地域に入って信頼関係をつくらなければなりません。

 林業でも、まずは土地のことを知ってリスペクトをして、一歩引いたところから地域のかたたちに提案をします。そういう意味では、学生時代に世界を冒険してきたことはとても糧になっていると思います。

――そのような思いを持って取り組まれている林業ですが、今、どのような課題をお持ちでしょうか?