ずば抜けていたリーダーシップと欠落した後継指名

 経営者は、企業組織のリーダーである。リーダーは強大な権限を持つわけだが、人を動かすには権限だけでは十分とはいえない。範囲と規模の差こそあれ、経営者は同じような権限を持つが、人に与える影響力には大きな違いがある。ハーバード・ビジネススクールの松下幸之助記念リーダーシップ講座教授、ジョン・P・コッターによれば、それは権力の行使の差だという(*5)

 では、権力の使い方を心得ているリーダーと、そうでないリーダーとの違いは何か。その答えは、重光武雄の経営原則の中にはっきりとうかがうことができる。すなわち、権限に伴う「責任の自覚」である。社員を大切にする家族的経営というのがロッテの社風である。

 前述したように、1982(昭和57)年の余剰人員の問題は「首切りも含めて再建策を考える」と腹心の部下に言いはしたが、そのようなことをすれば人心が荒れることも分かっているから、実施策の検討は命じず、人員配転で切り抜けた。創業期から工場兼本社に泊まり込みで働き、韓国銀行東京支店にいまの10億円に相当するような預金をしていながら、支店長の劉彰順(ユ・チャンスン/第15代首相・韓国ロッテグループ元統括会長)が重光のバラック然とした事務所を見て驚愕したように、学んだ早稲田実業学校の校是「去華就実」(華やかなものを去り、実に就く)を体現するような生き方だった。「土日は行方不明になる」と言われた日本人も舌を巻く仕事好きは、ロッテが日本有数の菓子メーカーになっても変わらなかった。

 ワンマンでカリスマ的な経営といえば独善性が目立つ、というのが一般的だ。重光にも実際にそういう面はあったが、前述したように失敗したときは自ら責任を取っている。時には部下に当たり散らすこともあったようだが、大卒採用1期生の林勝男(イム・スンナム)は、「私たちに対する信頼の裏返しだった」と入社間もない当時を振り返る。林同様、たびたび言及してきた手塚らロッテ生え抜き社員の証言には共通点がある。重光というリーダーに仕え、育ててもらったことへの感謝の念である。これは、重光が「人を見る目」を備えていたこと、すなわち、適材適所のポストを与え自立的な育成をマネジメントしたことの証左でもある。(『ロッテを創った男 重光武雄論』より)。

 創業から製菓業ナンバーワン企業にまで上り詰めた40年間は、重光のワンマン体制の下で「責任と人材育成」を基軸とするリーダーシップスタイルが保たれてきた。重光が日本で成功を築き上げた時代は、日本に強力なカリスマ性を備えたオーナー経営者が数多いた。松下幸之助、盛田昭夫、小倉昌男などの評伝を読めば、重光同様、「人を見る目」が経営者にとって大切な資質の一つであることが分かる。どんなにワンマンであっても、一人で経営はできない。会社は社員なしでは回らない。そういう当たり前のことをつい忘れてしまう。それを重光は嫌った。だから自慢話は一切しなかった。

 1990年代は韓国のロッテグループが財閥として拡大を続ける時期でもあり、日韓ロッテの力関係が逆転した時期でもある。グループの拡大につれ、重光はグループ各社の社長から、日韓双方に君臨する総括会長となる。取締役会はあったが、基本は重光がすべてを決めていた。

 このやり方が、徐々に崩れていくことで、グループ内が変質していく。繰り返しになるが、「重光会長のリーダーシップは『父親精神』と感じられた」(*6)と韓国の記者が記した、かつてのような会長のリーダーシップ経営は、終わりを迎えつつあったのだ。

 創業60周年を控えた2007(平成19)年4月1日の持ち株制への移行で、ロッテホールディングス(HD)に改称したことが大きな分かれ目となる。移行の目的はトップダウン型組織からの脱却であり、「重光武雄商店」から普通の大企業への変革だったとされる。すでにこのとき、重光は数え年で86歳である。その2年後、88歳で重光は日本のロッテHDの社長を退き会長になった。これより重光は、日本ではオーナーあるいは会長と呼ばれるようになった。代わって社長に就いたのが住友銀行(現・三井住友銀行)出身で、ロイヤルホテルの代表取締役だった佃孝之で、重光と共に代表権を持った。

 後継者と目した長男の宏之がロッテHDの副会長となり、二男の昭夫が韓国のロッテグループ会長となるのは2011(平成23)年のことだ。

 古参社員は、この頃から社内の雰囲気が徐々に変わっていったと指摘する。晩年、さすがの重光も老いた。判断力は低下し、リーダーシップにも衰えが見えてくる。世襲や肉親の情についてはここでは語らない。ただ一つ、「後継者指名」という、経営トップにとって最大の使命を完遂できなかったことが、ロッテグループを牽引してきた重光のリーダーシップの唯一の汚点であり、それが後に大きく世間を騒がせる事態を招いたことが残念でならない。最後の仕上げを欠いたために、それまでの成果が台無しになる「画竜点睛を欠く」とはこのことを指すのだろうか。

 いずれにせよ、日韓を股に掛けたロッテグループの構築は、重光が生涯貫こうとした2つの行動原則と4つの経営原則という経営哲学、そして強力なリーダーシップという経営手腕があったからこそ実現されたものである。次回はロッテグループ躍進の原動力となった、マーケティングに代表される重光の経営手法と経営ストラテジー(戦略)を詳しく説明しよう。

*5    John P. Kotter, “Power, Dependence, and Management,” Havard Business Review, Jul-Aug 1977.(邦訳「権力と影響力」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2008年2月号)
*6 『月刊朝鮮』2017年1月号

<本文中敬称略>