マイクロソフトやグーグルでエンジニアとして活躍し、現在は複数の企業で技術顧問を務める及川卓也氏は、リモートワークによる効率化を歓迎しつつ、「通勤しなくなって苦痛とともに消えてしまったメリットもある」という。効率化の影で失われた良い部分だけの復活を可能にする「分解の思考」について、及川氏が解説する。
実はメリットも大きかった?
「通勤」がなくなって失ったもの
コロナ禍以降、在宅などのリモートワークがよしとされ、“痛勤”とも揶揄されてきた満員電車での通勤や移動をせずによくなったことで、ホッとしている人も多いのではないでしょうか。ところがある日、ふと「通勤がなくなったことで、自分が大事なことをやらなくなっているのではないか」と思うことがあり、移動というメインの目的のほかに、通勤中に自分が何をしていたかを“分解”してみることにしました。
ほぼリモートワークになった人の生活パターンを、コロナ禍以前と以降とで比較した例が以下の図です。
私もそうですが、通勤しなくなったことで、すぐに仕事を始めることができ、打ち合わせのための移動も不要となり、1日のうちに仕事を詰め込めるだけ詰め込んでしまうようになった、という話は、リモートワークに移行した人からよく聞きます。こうして見ると確かに効率は高まっているし、「働き過ぎかな」と思うなら仕事と仕事の合間に多少休憩を挟めばいいだけのことです。
しかし、それだけでは何かが足りない。私にとって、通勤や移動の時間はただの場所移動のためだけではなく、ポッドキャストを聴いたり、ニュースや本を読んだりする情報収集のための貴重な時間でした。また、街を行く人の様子や交通広告などから社会を観察する時間でもありました。これらの「インプットの時間」がなくなったことで、痛勤の苦痛とともに移動することで享受していたメリットも消えてしまったのです。
また、移動を面倒に感じてはいたものの、運動になっていたことも確かです。私は従来、1日に8000歩から1万歩は歩いていたのですが、それがほとんどゼロになってしまいました。