農協の大悪党#1Photo:JIJI

JAグループ京都のトップに26年以上にわたって君臨する中川泰宏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」──として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派と見る府民も少なくない。だが、中川には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」などを行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。とりわけ、目の上のたん瘤だった政敵、野中広務元自民党幹事長が故人となった2018年以降は中川のやりたい放題となっている。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』では、「農協の独裁者」誕生の秘話や野中との権力闘争、中川の裏の顔を明らかにしていく。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)

いじめられっ子が無慈悲な強者に変貌し
「野中王国」を崩壊させるまで

「年間200人の就職を世話しとる」「不動産はどこにあるか分からんほど持っとる」──中川泰宏による自慢話は枚挙にいとまがない。その内容は眉に唾を付けて聞かなければならないが、中川を巡る数字を知ると、あながち出任せではないと納得できる部分もある。

 中川がトップを務める組織は、農業関連だけで15以上あり(下表参照)、その資産規模や事業量は日本有数といっていい。

 一例を挙げれば、1995年から会長を務めるJAバンク京都信連が集める貯金残高は1兆2546億円に上る(2021年3月末現在)。6年間以上、副会長を務めるJA共済連(JAグループで保険を扱う全国組織)の保有契約高は103兆円を超える(20年3月末現在の生命総合共済の契約高)。

 一般的に、金融機関の経営者は一流大学卒業のエリートが務めることが多いが、中川は高卒のたたき上げだ。

 中川がJAグループを牛耳ることができたのは、カネのにおいをかぎ分ける嗅覚に優れ、権謀術策に長けているからだ。

 では、中川はなぜそういった能力を持つに至ったのか。それを理解するのに、幼い頃に患った小児まひの影響で、足が不自由だということは欠かせないファクターである。

「生徒たちに足の悪さをだしにいびられた。小学4年生ごろまで毎日泣かされていた」(著書『弱みを強みに生きてきた この足が私の名刺』より)というから、幼少期に塗炭の苦しみを味わっていたことは想像に難くない。

 中川は、こうした逆境をはねのけ、事業家として成功するだけでなく、小泉チルドレンとして衆院議員にまでなった。

 そして、もう一人、同じ京都から、ハンディキャップをバネに伸し上がった政治家がいる、官房長官や自民党幹事長を務めた野中広務だ。

 野中にとっての逆境とは、被差別部落出身だということだ。野中は著書の中の対談で、「そのことを俺のハンデにしたってしょうがねえ。それをバネにして頑張りゃいいんだと思ってやってきた」(著書『差別と日本人』〈辛淑玉との共著〉より)と語っている。

 中川は、自分より30歳近く年長で、先に権力者の階段を上っていた野中に、異常なまでの対抗心を燃やしていた。

 連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』では、当初は師弟関係だった中川と野中がたもとを分かち、政界引退後の野中が中川を「正面の敵」と呼ぶまでに関係が悪化していった舞台裏を描く。