農協の大悪党#17・中川泰宏氏の選挙支部Photo by Hirobumi Senbongi

小泉チルドレンとして衆議院議員を務めていたJAグループ京都会長の中川泰宏は2009年、2度目の総選挙に挑む。だが、初当選時の「小泉フィーバー」は消え去っており、地元京都では中川の政敵、野中広務が郵政選挙のリベンジに向けてはかりごとを巡らせていた。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』の#17では、中川が選挙で連敗を喫し、陰のフィクサーの道を選ぶまでの経緯に迫る。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)

小泉引退後、思い知った野中の政治力
中川の得票数はピークの2割まで減少

 中川泰宏が小泉チルドレンとして中央政界で脚光を浴びる一方で、2005年の郵政選挙で一敗地に塗れた野中広務とその後継者の田中英夫は地元京都でリベンジの機会に備えていた。

 野中が動いたのは08年9月、小泉純一郎が政界引退の意向を表明した直後だった。

 総選挙に向けて、野中はまず、田中の自民党公認と復党を画策した。田中は05年の郵政民営化法案の採決で反対票を投じ、郵政選挙で公認を得られず、「刺客」として送り込まれた中川と戦って落選。その後、自民党を離党していた。

 その田中が、小泉の政界引退表明から1週間とたたないうちに次期衆議院議員選挙における党の公認と復党を自民党京都府連に願い出たのだ。

 さらにその1週間後、今度は中川の選挙区である京都4区の亀岡市、南丹市、京丹波町の市町議会議員32人が田中の公認と復党を求める請願書を京都府連に提出した。それに呼応するように田中を支持する府議会議員や京都市議会議員がわざわざ上京し、京都府連会長の谷垣禎一に同様の要請を行った。

 まさにせきを切ったような野中一派の波状攻撃である。しかも、それとほぼ時を同じくして、自民党幹事長には京都1区選出の伊吹文明、公認候補選定の鍵を握る選挙対策委員長には野中を「政治の師」と仰ぐ古賀誠が就任していた。

 中川は郵政造反組が復党しないよう、自民党幹部に必死で訴えていた(詳細は本連載の#16『小泉純一郎の捨て駒「農協界のドン」の末路、永田町で四面楚歌になった全真相』参照)が、事態は中川が懸念していた通りに動いていた。