JAグループ京都会長で、小泉チルドレンだった中川泰宏と野中広務・自民党元幹事長の戦いの場は国政選挙だけではなかった。むしろ、数十票を争う地元京都府の地方選挙における「代理戦争」での方が2人の闘志は燃え上がった。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男」』の#18では、逮捕者を出すほど白熱した泥沼の地方選挙の裏側に迫る。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)
中川vs野中の地方選挙「代理戦争」
初戦の地元市長選はわずか17票差!
中川は2009年の総選挙で惨敗したことで国会議員としてのキャリアは事実上終わった(詳細は本連載の#17『「農協界のドン」が政治家から“陰のフィクサー”に転身した意外な裏事情』参照)。しかし、その後も、中川は飽くことなく野中に対して権力闘争を挑み続けた。
2人の緊張関係は、京都府の政治関係者に大変な気を使わせた。例えば、パーティーを開くとき、中川と野中を両方招くのはタブーだった。まれに両者が同席せざるを得ないケースがあると、主催者は席順をどうするか、どちらを先にあいさつさせるかという難題に頭を抱えることになった。
中川が落選した09年の総選挙後、京都市内で開かれたとあるパーティーで、中川が野中に面と向かって「『野中先生より先にあいさつさせていただいて……』とのたまったときには会場にいた100人ほどの地方議員らが凍り付いた」(同パーティーに参加した自民党関係者)という。
総選挙という大一番が終わっていたのにもかかわらず、2人の間がピリピリしていたのは、京都府南丹市長選挙をはじめとした地方選挙における中川と野中の「代理戦争」の真っ最中だったからだった。
05年の郵政選挙の直後から激化し、驚くべきことに今日まで続いている代理戦争の実態を明らかにする。