農協の大悪党#2Photo by Hirobumi Senbongi

JAグループ京都のトップに26年以上にわたり君臨する中川泰宏は、いまでこそこわもての権力者だが、幼少期は病弱で、足の障害をだしにいじめられるなど辛酸をなめていた。進学や就職でも障害がネックになったが、高校を卒業直後は、たくましい青年実業家へと変貌していた。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』の#2では、中川がいかにして暗い少年時代と決別したのか、その変貌ぶりに迫る。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)

いじめられっ子が「ゴンタ」に
差別に屈せず高校進学、同和研に所属

 中川泰宏が生まれた京都府八木町(現南丹市)は、典型的な中山間地域の農村だ。

 JR八木駅から続く町のメインストリートには商店が軒を連ねているが、昼間にもかかわらず半数はシャッターが閉まっていた。その商店街も300メートルほどで終わり、川を渡ると突然、完全なる農村地帯が広がった。「これといった特色のない谷間の町」と中川が自虐的に表現しているのもうなずけるものがある。

 中川の自宅は、その農村の山際に近い奥まった所にあった。

 そこで筆者が感じたのは、少年時代の中川の「しんどさ」だった。家から小学校までは2キロ、中学校までは5キロ近い距離があり、おまけに緩やかなアップダウンがある。

 中川の足には障害がある。登校時には、「友達に置いてけぼりにされたり、ひどいときには蹴り倒されたりしていた」(地元関係者)という。