宿題代行・否定派の意見
文科省の立場はいかに

 まず、宿題代行否定派の主たる意見といえば「子どものためにならない」というもの。宿題に取り組むこと自体に教育的効果があるはずだから、その機会を摘み取る宿題代行は非である――これが主たる否定意見の主張である。
 
 たしかに、期限ギリギリとはいえ宿題を全て片付けたときの達成感はこの上なく、子どもにとってひとつの成功体験として糧になっているはずである。
 
 また、「宿題をお金で解決するのを子どもに見せるのはよくない。ゆがんだ価値観の子どもが育つ」といった声もある。
 
 これは難しいテーマだ。お金は時間短縮をかなえるツールだから、お金を持っている人はそこに惜しみなく注ぎ込む選択肢を有している。無料の一般道と有料の高速道路、どちらのルートを使うかで比べるとき、そこに「一般道の方が偉い」や「高速はずるい」といった尺度は存在しない。
 
 しかし夏休みの宿題には、「やるのが偉い」(というより「本人がやって当然」)という尺度を持つ人が多くいる(これは、自分で宿題をやってきた人が多いからであると思われる)。だから宿題をお金で解決しようとする姿勢はたたかれる。しかし、お金で宿題を解決したい人にとっては、宿題代行を頼むことは「一般道より高速道路を選ぶ」ような感覚なのかもしれない。
 
 世間一般の道理としてまかり通っている「宿題は本人がやるべきだ」という慣習保守の多数派と、新勢力の宿題代行賛成派は、根本の価値観が共有できていないので、議論をしようとしてもどうしてもすれ違ってしまう。
 
 ともあれ、「みんな苦労しているんだからお金で解決しないで、しっかり苦労して育ってもらいましょうよ」という意見が出てくるのは、世の中の流れや人の感情の一般的な傾向などを見ると、ごく自然なことに思える。
 
 最近はやってきている効率重視の考え方の人からすれば「“苦労”を美徳と考えているところがまず間違い」と指摘があるであろうが、それはそれである。本稿は双方の正否を定めるつもりはなく、双方の妥当性を模索する趣旨で進めているので、その点ご承知おき願いたい。
 
 なお、かの文部科学省も自サイトにて、メルカリ、ヤフー、楽天の3社それぞれとの合意文書を掲載する形で、宿題代行についてどう対応するかの告知を行っている。
 
 合意文書の内容は3社とも同じで、要約すると、下記の通りになっている。

1. 宿題代行サービス、および宿題の完成品の売買を禁止し、そうした商品は発見次第削除。
2. 子どもが自分で宿題に取り組むことの大切さを周知していく。
3. 文科省と各社は連携して、今後子どもの未来を第一に考えて取り組んでいく。

 文科省は公式に、宿題代行を認めぬ構えのようである。