1990年代前半、日本でバブル経済が崩壊すると、企業経営の世界に2つの潮流が現れる。一つは「経営を科学する」という取り組みであり、厳格な計数管理、論理合理的な意思決定、データに基づく事業運営、資本コストに基づく株主価値の最大化などが特徴的である。もう一つは「生命論で考える」という、西洋科学の合理主義や要素還元主義の限界を踏まえ、部分と全体、知識と行動、心と体、主観と客観など、あらゆる対立概念は実は不可分と考える態度である。現在を顧みると、前者が優勢を占めてきた。

 実際、最近になって日本的経営の特徴でもあったサステナブル経営やマルチステークホルダー論が唱えられているものの、そこには依然として、分解して分析して説明する西洋科学の考え方、ひるがえってビジネススクール的、テンプレート的な思考法がある。

 フレデリック・テイラーの科学的管理法まで遡れば、こうした西洋の知への「異議申し立て」が、経営の世界でも唱えられてきた。事実、ノーベル賞クラスの物理学者や化学者、さらには数学者までも、最終的には東洋の哲学や宗教に悟りを見出している。

 1990年代半ば、同じく欧米型経営への危うさや不実の疑いから、部分と全体を合一する「生命論」への眼差しが生まれてくる。当時、たとえば免疫学者の多田富雄氏、生命誌の中村桂子氏、解剖学者の養老孟司氏、ユング心理学者の河合隼雄氏などの著作や講演に、ビジネスパーソンたちの知性は大きく刺激され、経営理念やビジョンの見直しに少なからず取り込まれていった。ちなみに、ミッチェル・ワールドロップの『複雑系』(新潮社)が巻き起こした複雑系ブームも同じ文脈といえるだろう。

 この生命論パラダイムと並行して注目されたのが、「西田幾多郎」である。

 西田幾多郎とは何者か。1870年5月19日(明治3年4月19日)、石川県生まれ。石川県専門学校(第四高等中学校、のちに第四高等学校と改称、通称四高)では、禅を英語で紹介し、アメリカにおける禅の始祖ともいわれる鈴木大拙が同級生で、西田自身も参禅に努め、それを踏まえて『善の研究』を著した。これが西田哲学の濫觴といわれる。

 西田は、まさしく西洋思想、すなわち論理合理主義、一元論や二元論、要素還元主義の限界を指摘し、その思想には、たとえば世の中のあらゆる事象は対立することなく溶け合って分離・分解できないといった東洋的思考が基底にある。

 サンフランシスコで生まれ、宗教学の研究を通じて、日本人の心を探究してきた山折哲雄氏によれば、「日本の教養はまず西田哲学から学ぶというのが前提である」と述べる。そして「代表的著作『善の研究』が刊行され、ここから、この国に『哲学』の名が定着するようになった」という。

 また、欧米型経営理論の教義から解放された経営学者、野中郁次郎氏によれば、「まず東洋知には、西洋知にはない、経験や実践の重視が挙げられる。西洋知は、たえず『自我』という主体にこだわり、そこから主観と客観、おのれの経験や理性といった二項対立的な世界観を導き出す。これに対して東洋知は、主客未分、没我(無私)、忘我状態での知など、自我を超えて臨機応変に視座を移動させ、融通無碍に形を変えるところから知を探求する。まさしく日本的経営には、西田哲学に通じるところがある」という。

 ベストセラー『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)の著者、福岡伸一氏は『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書店)の中で、「(西田幾多郎、西田哲学は)近くにあるようでいて、いつも遠い存在だった」が、「動的平衡は、まさしく絶対矛盾的自己同一である」と述べている。言い換えれば、自然界は絶対矛盾的自己同一であり、そこに生きる私たち人間もまさしくそうなのである。

 昨2020年は、西田幾多郎の生誕150周年であり、先覚的なビジネスリーダーたちは、デジタル・AI時代だからこそ、倫理や利他、差別や人権、環境破壊や地球温暖化など、人間主義や生命論の視座の重要性に気づき、ここにパーパス経営が棹差して、西田哲学に再び関心を向け始めている。 

 そこで、『西田幾多郎全集』(岩波書店)の編集委員4人のうちの一人であり、京都大学エグゼクティブ・リーダーシップ・プログラムで西田哲学を教えている藤田正勝氏に、ビジネスエグゼクティブや初学者に向けた解説をお願いした。

「絶対矛盾的自己同一」
とは何か

編集部(以下青文字):昨2020年は西田幾多郎の生誕150年で、あらためて西田哲学を再発見する機会でもありました。とはいえ、西田哲学を学ぼうと思い立ったものの、その難解さゆえに、多くの人が挫折してしまいます。とりわけ「絶対矛盾的自己同一」という概念につまずいています。

わかりたい人のための西田哲学入門京都大学 名誉教授
 藤田正勝  MASAKATSU FUJITA
1972年、京都大学文学部哲学科卒業、1978年、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。1982年、西ドイツ・ボーフム大学大学院博士課程修了、博士号取得。1991年、京都大学文学部助教授。1996年、同大学大学院文学研究科教授。2013年、京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授。その間、ベルリン・フンボルト大学客員教授、中国・厦門大学客員教授を務める。2015年、定年により退官。その後、京都大学エグゼクティブ・リーダーシップ・プログラム講師などを歴任。主な著書に、『若きヘーゲル』(創文社、1986年)、『現代思想としての西田幾多郎』(講談社選書メチエ、1998年)、『西田幾多郎――生きることと哲学』(岩波新書、2007年)、『西田幾多郎の思索世界』(岩波書店、2011年)、『哲学のヒント』(岩波新書、2013年)、『清沢満之が歩んだ道』(法藏館、2015年)、『九鬼周造』(講談社選書メチエ、2016年)、『日本文化をよむ――5つのキーワード』(岩波新書、2017年)、『日本哲学史』(昭和堂、2018年)、『人間・西田幾多郎――未完の哲学』(岩波書店、2020年)、『はじめての哲学』(岩波ジュニア新書、2021年)などがある。そのほか、共著ならびに翻訳書多数。

藤田(以下略):絶対矛盾的自己同一は、たしかに理解しにくい概念です。しかも、西田はそれをさまざまな文脈の中で使っています。それが余計に、この概念の理解を難しくさせています。

 大きく言うと、西田はこの絶対矛盾的自己同一という概念を3つの文脈で使っていますが、一つは宗教的な文脈です。あらゆる罪や煩悩を背負っている有限な人間と、人間を超越した神や仏といった無限な存在は、互いに異質でありながら本質的に結び付いているという関係を、この概念で言い表しました。わかりにくいかもしれませんが、いかにしても救われない人間がいて、初めて神や仏が存在する、つまりその求めに応じるのが神や仏だという意味です。この関係を、西田は絶対矛盾的自己同一という言葉で言い表しました。後期には、西田は世界の論理的構造を問題にしましたが、それもこの絶対矛盾的自己同一という表現で言い表しました。

 私たちの世界は、「時間」と「空間」から成り立っています。過去から現在を通り、未来へと流れていくのが時間です。他方、空間は現在において成立しますが、その中には過去的な要素も未来的な要素も詰まっています。その間に生じる矛盾が動因となって、現在が動いていきます。この時間と空間という対立するものが、対立したまま同時に一つに結び付いているという世界の構造についても、西田は絶対矛盾的自己同一という言葉で表現したのです。

 次に、社会や組織において必ず生じる「全体」と「個」との関係についても、西田は絶対矛盾的自己同一で説明しています。全体と個とはそれぞれ独立していますが、各々の個が十分な力を発揮するには全体や自分以外の個の存在が不可欠です。他方、各々の個が力を発揮するからこそ全体が成り立ちます。組織と組織メンバーと言い換えてもよいでしょう。これも絶対矛盾的自己同一といえます。

 先生は、弁証法を修正・代替する概念「二項同体」、すなわち「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」という考え方を提示した清沢満之も研究されていました。こうしたことを踏まえると、絶対矛盾的自己同一という概念は、全体を要素に分解・分類して分析する要素還元主義、白か黒、イエスかノーを区別する一元論や二元論など、西洋的合理主義への異議申し立てではないでしょうか。

 たしかにそうでしょう。西洋的合理主義は、「AはAである」という同一律、「Aは非Aであることはない」という矛盾律、「Aと非A以外はない」という排中律、これらの論理原則の上に成り立っており、AかBかという二分法ですべてを説明しようとします。しかし、現実の世界の中には、それでは説明し切れないことがたくさんあります。

 たとえば、卑近な例で言えば、ワークライフバランスの場合、どちらが重要かで割り切ることはできません。仕事が大切な時もあれば、私生活が大切な時もあります。その時その時の状況に応じて、私たちは判断していくわけです。西田は、形式的な論理よりも、このような現実の姿に注目しました。

 鎌倉時代を生きた禅の開祖の一人、道元禅師は『正法眼蔵』の中で「心身一如」、すなわち心と身体は分けられないと述べました。西田も日々参禅を続けていたそうですが、そもそも人間という存在自体が絶対矛盾的自己同一である、と。

 人間の意識の働きは身体の働きに影響されていますから、心と身体を分けて考える二分法のほうがおかしい。まさに心身一如なのです。ただし、一如といっても、西田は相矛盾する面を見落とすことはありませんでした。両者が完全に一体化しているわけではなく、身体は身体で、心は心で、それぞれに働いている局面がある、しかし両者は根本のところで結び付いている、と西田は考えました。