悲しみや苦しみは、その一部でも人が汲み取ってくれることによって和らぐものだ。悲しみの中にいる当人を静かに見守るという姿勢を維持し、その人の周囲に漂う抑えきれない悲しみを汲み取ろう。悲しみや苦しみに対して「足し算」は御法度で、「引き算」に徹する姿勢のみが救いをもたらすと心得るべきだ。

◆心に残る「一言」
◇心も身体も痛みが和らぐ「いたわりの言葉」

 著者が初めて胃の内視鏡検査をしたとき、とてもつらい思いをした。何とか苦境を脱することができたのは、そのときについてくれた看護師のおかげだ。呻き苦しむ著者の背中をさすりながら、ときどき「ごめんなさいね」と声をかけてくれたのだ。

 痛みを感じている人の身体を「さする」行為は極めて効果的で、実際に痛みを和らげてくれるだけではない。相手が自分の痛みを和らげようと心を砕いてくれているという安心感がある。理由はどうであれ現実には痛みを与えている側の立場から「ごめんなさいね」と言ってくれるのも、気持ちが楽になった要因であろう。

 いたわりの言葉は、動作が伴うと信憑性が一気に高まる。相手の痛みに共感できてはじめて、相手の心と身体を楽にすることができるのだ。

◇「どうぞ」と「お先に」は人の心を温かくする

 世の中では、どちらが先に行くかという問題でもめることが多い。出入口を通るときや狭い通路ですれ違うときは、どちらかが立ち止まって道を譲る必要がある。そんなとき、急いでいるからといって自分が先に行ったとしても、結果にたいした違いはない。エネルギーを余分に使うだけだ。

 それよりも、悠然と構えて先を譲ってみてはどうだろうか。ちょっと身を引いて「どうぞ」と言ってみる。そのちょっとした動作と一言が、人の心を温かくするのだ。

 逆に「どうぞ」と譲られたら、感謝したうえで「お先に」と言って先に行く。「どうぞ」と譲るのはもちろん、人の好意を素直に受けることができるのも余裕の表れである。