◇適切な判断とは、適切な諦めである

「諦める」とは、目的へ向かう行為をやめることだ。諦める対象は「目的」自体と「目的に向かう方法」の2つに大別される。夢そのものを諦めるのは、自分には実現不可能だと判断する場合がほとんどだ。このような事態に陥ってしまうのは、最初の評価が甘かったということになり、精神的痛手となる。できればこのような「諦め」はしたくないものだ。

 目的に向かう方法を諦めることは、夢を断念することではない。方法を変えない限り目的達成が困難であると予測し、新たな方法を模索することである。途中でその方法を諦めることもあるし、無駄になるものもある。やりかけのものを無駄にしたくないという気持ちが膨らむほど、諦めるのは難しくなる。

 人生では何度も「何を諦めるのか?」という選択をしなければならないときがある。夢を実現するための計画に必要なのは、諦めるものの判断だ。適切な判断とは、適切な諦めにほかならない。「諦めなければ夢は実現する」というよりも、むしろ「諦め続けることで夢は実現する」というほうが現実に近いといえよう。

◆夢を実現するのに必要なのは諦めだ
◇どっちつかずで、ぐずぐず悩めばよい

「諦めた」と口にしている人は、実際のところ諦めきれていないからこそ悩んでいることが多い。諦めきれないという悩みは、失うものが多い場合と、諦めるものの実体が自分でもわかっていない場合に分けられる。前者は手放すものが多く、後者は手放すものが明確に存在しない。諦めたいけれど、諦めるものがまだない、という後者の状況は想像以上に多い。

「小説家になりたいが、小説がうまく書けない。夢を諦めるべきか」と言う人がいる。小説はまだ書けていないのだから、才能があるのかどうかもわからない。諦めるべきか否か、小説を書くとしたら、なんでも良いから書き上げるべきか、納得できないものはすぐ書き直すべきか。答えが簡単に出るはずもない。諦めたり試したりを繰り返すしかないのだ。人生に〆切はない。結論を急がずに、どちらつかずのまま、ぐずぐずと悩めるだけ悩めばよいのだ。