検査不正は少なくとも1980年代から存在したことが分かっている。例えば、問題の発端となった長崎製作所の鉄道車両用空調装置では、正しく試験したように見せる“偽装プログラム”がこの頃から使用されていた。

 しかし、ガバナンス委はあくまで、16年以前は検証困難であり役員の経営責任を問うのも難しいと判断している。三菱電機はこれを“免罪符”として旧経営陣をかばっていると、少なからぬメディアは考えているようだ。

 くすぶり続ける旧経営陣の責任論こそが、漆間社長を苦しめている元凶のようにみえる。

三菱自動車が陥った
“説明責任の迷宮”

 企業不祥事において、メディアの前に出て説明責任を果たし社会的制裁を甘んじて受けることが、信頼回復への道を開く。

 しかし、時には、抱え込んでいた過去の問題があまりに大き過ぎ、企業側へのメディアの信頼がすっかり失われてしまうことがある。どんな説明もその場しのぎの言い逃れと受け止められ、冷笑をもって迎えられる。報道は信頼という歯止めを失って際限なくエスカレートする。筆者はこれを“説明責任の迷宮”と呼んでいる。

 かつてリコール隠し問題で揺れる三菱自動車がこの状態に陥った。2004年から2005年の頃で、大型トレーラーからのタイヤ脱落による死傷事故を発端に過去のリコール隠しが発覚し、社会的非難を浴びて経営破綻の危機に追い込まれた。筆者も当時、社員の一人だった。

“迷路”から抜け出すきっかけとなったのは、2005年3月の社長会見だった。国土交通省からの警告書へ最終回答書を提出する大きな節目。会見のムードをがらりと変え、メディアの高い評価を集めたのが、元会長・元社長を含む7人の元取締役・元執行役員に対する損害賠償請求の発表だった。

 リコール隠しにつながる企業風土・組織を作り上げてきた歴代の経営陣らの責任を明確化することが、問題にけじめをつけ再生を全うするために必要と考えた。社内外から賛否両論が巻き起こったが、ようやく信頼回復のきっかけをつかんだ。