画竜点睛を欠いた事業承継
何が、事業承継計画を破綻させたのか

 ダイヤモンド・オンラインでは、2020年11月から15回にわたり『日韓を股に掛けて巨大財閥を築いた男の軌跡』と題して、ロッテの創業者で日本名・重光武雄、韓国名・辛格浩(シン・キョクホ)の事業に挑んだ一生をレポートした。それは戦前に渡日し、戦後にガムやチョコレートの製造・販売で鬼才ともいえる事業力を発揮し、また祖国・韓国でもロッテホテルやロッテワールドなど「観光流通産業」と呼ぶべきビジネスモデルを確立して、ロッテグループを韓国5位の財閥まで育て上げた男の「衣錦還鄕」(*1)の成功譚だった。

*1 郷里に対して物質的還元を行う朝鮮儒教の思想

 しかしそのなかで、一つだけ、しかし唯一最大で致命的な、武雄の失敗について触れた。

「ただ一つ、『後継者指名』という、経営トップにとって最大の使命を完遂できなかったことが、ロッテグループを牽引してきた重光のリーダーシップの唯一の汚点であり、それが後に大きく世間を騒がせる事態を招いたことが残念でならない」(連載14回「重光武雄の『経営論』、生涯追求し続けた6つの原則とは」

 本連載は、サブタイトルに「なぜ事業承継に失敗したのか」とあるように、長男への事業承継に向けて周到な準備を進めてきたにもかかわらず、なぜ二男の“クーデター”によって長男だけでなく自らも追放され、事業承継に失敗したのか、その理由を探るものである。いわば、成功譚「ロッテを創った男」の重光武雄が「ロッテを奪われた男」として悲惨な最後を迎える失敗譚である。数え年の99歳で天寿を全うしながら、最晩年の5年を昭夫のクーデターによって泥沼を這い回るような塗炭の苦しみを負わされた武雄の無念さは筆舌に尽くしがたい。棺桶の蓋が閉まってから人の評価が定まるという「蓋棺事定」の故事にならえば、過去の栄光は昭夫によって台無しとなったのである。

 だが、武雄の追放劇、すなわち事業承継の失敗を、関係者の証言や裁判の調書などから舞台裏を詳細に検討することで、事業承継における絶対的な教訓も浮かび上がってくる。

 晩年になっても、「息子たちは経営者としてはまだまだだめ」と語る冷徹な経営姿勢や「後継者にはさらにロッテを発展させてほしい」という経営者としての強烈な願いと、「後継者であろうとなかろうと兄弟仲良く経営にたずさわってほしい」という父としての愛情の相剋を描くなかで浮かび上がる「WHY(なぜ失敗したのか)」は、多くの経営者にとって共感できる部分があるはずだ。そこから導かれる教訓は、後継指名に悩む経営者に、事業承継計画に潜む盲点を明示する。また、後継候補を指導する経営幹部にとっては、事業承継の教訓を得るのみならず、マネジメントの指南書となるだろう。

 本連載で詳しく解説していくが、我々が武雄の事業承継の失敗をたどるなかで得た主たる教訓は以下の7つである。

教訓1 後継指名を公の場で正式に行う
教訓2 後継候補が複数なら“継承順位“を明確にする
教訓3 後継のタイミングを見誤るな
教訓4 後継者に経営理念も継承せよ
教訓5 持株会社の多様な機能を活用せよ
教訓6 トップの専権事項にせず取締役会と議論せよ
教訓7 万全の備えを崩す“欠陥“を見逃すな

 これはロッテに限った特殊なものではなく、多くの企業に共通することである。この、ロッテの失敗をケーススタディーとして検証し、教訓を導き出す作業は、フリージャーナリストの松崎隆司氏が上梓した『経営者交代~ロッテ創業者はなぜ失敗したのか』(ダイヤモンド社)と連携するものであり、松崎氏の協力を得ながら連載を進めていく。

 ロッテグループは、韓国5位の大財閥であり、直近の連結売上高は5兆498億円、連結営業利益は895億円である(2020年度)。このうち、日本のロッテグループは、明治や森永などの大手グループと並ぶ規模とはいえ売上高は2761億円しかない。韓国のロッテグループの20分の1だ。つまりロッテグループは経営的には韓国の財閥といえる状況にあり、その韓国財閥では事業承継をめぐる騒動が絶えない。なぜ韓国財閥ではそうした騒動が絶えないのか。次回は、連載の前提とも言える韓国財閥の「気質」について専門家にアドバイスを得ながら、その理由を解き明かしてみよう。