当然、この「スト破り」は他の生徒から反感を買い、屈強な男たちに取り囲まれ難詰される事態に陥るが、早川は折れることなく、殴りたいなら好きにすればいいと毅然とした態度を貫いた。

 よく言えば正義感にあふれた、言い換えれば理想に固執して現実と妥協できない早川少年は、旧制高校に進学して壁に直面する。今もそうだが、大学デビューというものがある。現在の大学生にあたる旧制高校生はやはり、酒を飲み、たばこを吸い、男女交際にうつつを抜かす者が多かったそうだ。

 早川はこれを罪悪と捉え、友人に忠告するが受け入れられず、神経衰弱に陥ってしまった。そんなある日、早川は学生たちの草野球を見物していてあることに気付いた。キャッチャーは捕球する際、ボールの勢いを打ち消すためにミットを手前に引く。前に出して捕ろうとしたらボールをはじき、手を痛めてしまう。

「これだ! これを会得しなければならぬ」。いたずらに自分の考えを押し通し、他を排してしまうのは、球と逆の方向に手のひらを押し出すようなものだ。それは肝心の目的を果たさないばかりか、わが身を傷つけることになる。

 早川が思案を巡らせる間にも試合は進んでいく。歓声に気付いて野球に目をやると、キャッチャーが三塁に送球してランナーを刺していた。ここでまた彼はひらめく。キャッチャーは投球を受け止めて第一の目的を果たしたのみならず、さらにその球を投げることで第二の目的を達成した。

 時流に従いつつ、しかしそれに押し流されることもなく目的地を目指さねばならないとして、ようやく信念とその実践に折り合いをつけた早川は、自分が行うべきは机上の学問ではなく実社会の学問だと確信した。そして旧制六高を退学し、早稲田大学に入りなおしたのであった。

 これは後に早川が自ら語ったエピソードで、少々出来すぎの感もなくはないが、その頃に何かしらの転機があったのは間違いないのだろう。そしてこの哲学こそが、その後の早川の歩みを理解するために必要なのだろう。