父は地方政治家で、祖父が開業したおせんべい屋や保険代理店も経営している家庭で育ちました。お店や事務所、自宅が同じ建物内ですから、常にお客さまが大勢いらっしゃる環境だったのです。小学校から短大までは私立の学校に通っていたということもあり、そういう環境で培った独自の固定観念は、揺るぎないものでした。でも渋谷109で働き始めてから、ことごとく変化していきましたね。

 渋谷109の初売りは早朝から準備するのですが、荷物を店舗に運んでいたら洋服のラックがガタガタと動いてびっくり。「なに!?」と思ったら、ラックに掛かった洋服の間からゴソゴソと人が出てきました。夜遊びしていたアルバイトの子が寝坊しないようにと、ここで待っていたって言うのです(笑)。「家に帰ったらもう起きられないと思って」と。

 でも、開店してからボーッとするわけでもなく、一生懸命なんですよ。このスタッフは、1回もドタキャンがなかったです。渋谷109で働くまで、へそピアス、鼻ピアスをした人に出会ったことがなくて、身近に髪の毛を白や紫にしている女の子もいませんでした。ですから、ルックスだけで人を判断するようなところがあったと思います。けれど、109で優しくてかわいくて仕事に一生懸命な彼女たちを、大切でいとおしいなと思うようになりました。

 そして、みんなで売り上げを伸ばすのが楽しくなりました。10坪で1億円の売り上げだったお店が、5年間で約2億円になったんです。頑張れば、頑張るほど売れる。アルバイトのみんなが売り上げを上げるメリットは、皆でディズニーランドやおいしいご飯屋さんに行くことくらいしかないのに、とても頑張ってくれました。心一つに和気あいあいと働いたあの頃は、本当に楽しかったですね。

――その後は、得意の料理を生かして新橋で居酒屋をオープンされるのですよね。藤崎社長のファンも多かったとか。

藤崎 お客さまが来店する目的は、一人一人違うと思っています。例えば、カウンターに座る方でも黙々と食べたい方、お友達を探しに来ている方…それぞれじゃないですか。それなのに、お店の対応は一律的な場合が多いように感じていました。ですから私は、それぞれのお客さまに合った接客をしたいと思ったのです。

絶滅危惧種「ドムドムハンバーガー」を黒字化、39歳で初就職した社長の経営術コロナ禍で藤崎社長がマスクを送ったときの手紙(1枚目)
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 例えば、グループでお越しのお客さまについても心配りは大切だと思っていました。「そらき」は狭い店なので、隣の席とのスペースがあまりない。ですから、隣に座る人同士の相性を気にしていました。

 賑やかなお客さまと静かなお客さまがお隣同士になる場合は、静かな方に「お隣に元気な方がいらっしゃいますので、よろしくお願いします」と言っていました。そう申し上げると100%のお客さまが「そんなこと気にしないで!」と必ずおっしゃってくださりました。一方、賑やかなお客さまには「お隣にもお客さまがいるので、よろしくお願いします」と一言かけると自重して下さる。その結果、店舗全体がいい雰囲気になっていきましたね。

居酒屋の常連客からの誘いを受け
ドムドムのメニュー開発に携わる

――その後、居酒屋の常連さんに誘われて、顧問契約としてドムドムのメニュー開発に携わるようになられます。当時の経緯を教えていただけますか?

絶滅危惧種「ドムドムハンバーガー」を黒字化、39歳で初就職した社長の経営術コロナ禍で藤崎社長がマスクを送ったときの手紙(2枚目)
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藤崎 私の料理や接客を気に入ってくださっているお客さまの中に、偶然ドムドムの親会社で専務をされている方がいらっしゃいました。その方から「ドムドムハンバーガーのメニュー開発を手伝ってみませんか」とお誘いを受けました。

 その結果、商品開発に携わるようになり、その後、正式に入社して新店店長を経て16店舗を統括する東日本のエリアマネージャー(SV)に任命されました。SV時代は、頻繁に各店舗の巡回をしていました。おいしくて見た目もいい商品が提供できているかを知りたいという思いで、食べてばかりでした。そして、店舗スタッフに「元気ですか?」から始まって「何か困ったことないですか。何かあったら言ってくださいね」と積極的に声を掛けていました。