この国はタリンとヘルシンキの間、氷で覆われたフィンランド湾に浮かぶ松が生い茂る島「ナイッサール」に位置し、「女たちの島」を意味する。

 この島には、かつて気難しい漁師と、ロシアの要塞を築いて間もない男たちが住みついていた。そこへ、カリスマ的な労働無政府主義者ステパン・ペトリチェンコの指揮下にあった戦艦ペトロパブロフスクが、島の占拠に乗り出した。総勢80名の乗組員が財務や教育の人民委員を任命した。また、地元住民への課税にも乗り出した。

 新規独立したエストニア政府は、これらの行為を機に乗じた海賊行為と見なした。しかし、エストニアはドイツ帝国に侵略され、労働無政府主義者の国に対し、有効策を講じることができなかった。

 ペトリチェンコらは島に到着して2カ月で、ドイツ人によって追い出された。ペトリチェンコらは独裁色の強いボリシェヴィキ政権を打倒する反乱を起こしたが鎮圧された。

 共和国は忘れ去られ、現在は島で造られた古い機雷が散らばる自然保護区となっている。

◇ペルロヤ共和国

 1918~23年、「ズーキヤ」と呼ばれるリトアニア語の方言を話す人々約700人がこの国に住んでいた。リトアニア史上もっとも偉大な人物ヴィータウタス大公は、リトアニア南部国境付近の村ペルロヤを気に入り、最初の教会を建てるなどした。

 第一次世界大戦の終結に当たり、復活したポーランドは可能な限りの領土獲得に奔走した。国境は至る所で引き直された。ペルロヤの人々はこの「ヨーロッパ大改造」によって翻弄されることを危惧した。リトアニアの首都にいる国際連盟の代表者に、使節を送るなどしたが、相手にされなかった。

 住民らはヴィータウタスの像のある広場に集まり、談議した。そのうちに演説が行われて聴衆は熱狂、気づけば共和国樹立を宣言していた。

 国旗の紋章が用意され、首相や内務大臣、財務大臣、裁判官が選出された。地元の男300人が兵士となり、手製の制服を着た。流通貨幣にヴィータウタスの肖像を使う計画までまとめられた。