彼らが恐れていた通り、大改造によって欧州の地図は塗り替えられ、ペルロヤの大部分はポーランド側に置かれることとなった。ポーランド警察が現れると、住民は身を潜めて立ち去るのを待った。そのような「かくれんぼ」が繰り返される中、住民による警察襲撃事件も起きた。しかし、ポーランド警察と思っていた相手は、忠義を尽くすべきリトアニア人だった。

 結局、ペルロヤ人は武器を捨て、しぶしぶポーランドの法律に従った。その後のソ連侵攻によってペルロヤはリトアニアに返還されたが、住民はトラックに詰められて強制収容所へと運ばれた。

◆命知らずと変わり者
◇サラワク王国

 サラワク王国は1841~1946年に存在していた。人口は当初8000人、1946年には60万人ほどだった。

 初代国王、英国のジェームズ・ブルックは、小さいころから冒険心の強い子どもだった。10代のときに世界を見ようと決心し、軍隊に入った。しかし入隊してまもなく、戦争で撃たれて死に瀕したと言われる。

 回復したブルックは、大富豪の父にねだって買ってもらった船でボルネオ島へ向かう。19世紀のボルネオ島は「未開の地」「草木が生い茂る異国」というイメージだった。先住民のダヤク族がいくつかの細かなグループに分かれ、小競り合いを繰り返していた。

 ブルックは先住民たちをうまく競わせ、一定の秩序が生まれた。その功績から、ブルネイの国王(スルタン)から感謝の印として島の一部を与えられた。国王はただの冒険家に過ぎないブルックを、イギリス帝国の代理人などと勘違いしたようだ。ブルックは38歳の若さで自分の国を手に入れた。裁判所を設置し、領地に法律を導入するなど、統治に当たった。

 故郷に戻ったブルックは国民的英雄として迎えられた。一方、無実の先住民を虐殺したなどと非難されることもあった。

 そのうち、サラワク王国は財政が悪化した。意気消沈したブルックは英国に買取を打診するも、興味を持たれなかった。

 その後、ブルックの甥チャールズ、そしてその息子のヴァイナーへと代替わりしていった。第二次世界大戦のさなかには日本軍の侵攻、爆撃により、国は焦土と化した。

 終戦を迎えると、ヴァイナーは英国と交渉し、サラワク王国の支配権を半ば押し付ける形で売却した。