知り合いのCさんが、私に対する厳しい批判メールを共通の知人何人もに送っていたことがあったのです。

数人の方から「こんなメールが来たけど大丈夫?」と連絡をもらって、わかったことでしたが、私としては突然の出来事にただ驚きました。そして、「なぜ、こんなことが起きるのだろう」と悲しくなりました。

今思えば、CさんにはCさんの言い分があったのです。

でも、当時の私には、そこまで考えが及びませんでした。知人が教えてくれたメールの内容は、どう考えても理不尽な言いがかりにしか思えなかったのです。

苦しくつらい気持ちの中で、怒りや悲しみが湧いてきました。そして、どうしようもなくなった私は、「Cさんなんて嫌いです! どうすればいいでしょう」とお不動さまに祈ったのです。

本当は、もう少し理性的に祈ればよかったのだと思います。でも、その時の私は、つい感情にまかせて祈ることしかできませんでした。

すると、驚くことが起こりました。祈っている最中に、Cさんが人に優しくしたり、親切にしたりしている場面が、まるで走馬灯のように浮かんできたのです。もちろん、お不動さまが見せてくれたに違いありません。

なるほど、と私は思いました。

私にとってCさんは、「いじわるな人」「嫌な人」でした。でも、それは私が狭い視野で見ている、ほんの一面にすぎなかったのです。

そう思った後に、Cさんが私に対してしてくれた親切や、かけてくれた優しい言葉も次々に思い出しました。それで、「今回は巡り合わせが悪かっただけなんだ。Cさんを恨んだり嫌ったりするのはやめよう」と思えたのでした。

そしてその後、今回の出来事を引き起こしたのは、相手だけに問題があるのではなく、私自身にも原因があるのだと気づくことができたのです。

僧侶であれば、本来は自分自身で気づくべきところです。しかし、まだまだ修行が足りない私は、お不動さまの力を借りて、ようやく学ぶべきことを学べたのでした。