「戦争が国家をつくり、国家が戦争をつくった」。社会学者のチャールズ・ティリーはかつてこう記した。現代において戦場で成功するには、国家が強力かつ中央集権化した制度を構築する必要がある。例えば、強制力をもって効果的に税を徴収し、徴兵できる制度だ。ティリーの理論は、ウクライナで現在続く戦争とはかけ離れているように思えるかもしれない。だが戦争は、少なくとも第2次世界大戦以降、ウクライナの政治制度の形成に深く関わっており、今後もそのようであるのは確かなように見える。ソビエト連邦は1950年代初め、破壊された各都市を防衛産業で復興しようとした。ソ連指導部は、現在ピウデンマシとして知られる新たな人工衛星と大陸間弾道ミサイル(ICBM)工場の建設地として、ウクライナ南部の都市ドニプロペトロウシク(現ドニプロ)を選んだ。ドニプロペトロウシクの軍需生産はソ連の西側諸国との軍拡競争に伴い拡大していった。ドニプロペトロウシクで生産されたミサイルは狙い通りに飛んだことはなかったが、同市は大勢のソ連政治家のキャリアにとって出発点となった。30年にわたり、同市の軍需産業と関係のある当局者が出世街道をまい進し、省庁や国家保安委員会(KGB)、共産党の要職に就いた。
現代ウクライナの軍事ルーツ
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