社員を最低賃金ギリギリで使っている経営者は、確かに最低賃金引き上げによって会社が倒産するかもしれない。しかし、そこで失業者になるのは、その経営者だけだ。社員たちは別にこの会社と「奴隷契約」をしているわけではないので転職をするからだ。しかも、新しい就職先は、最低賃金引き上げによって前の会社よりも賃金が高い。同じスキルの人がそれまでよりも高い賃金を生み出すということは、労働生産性も上がったということだ。こういう現象が、日本全国で広がれば、日本の労働生産性も上がっていくのだ。

 日本経済が成長していないから賃上げできないというが、海外のエビデンスを見ると事実は真逆だ。日本は継続的な賃上げをしないから、いつまで経っても経済が成長しないのである。

88年前から指摘されている
日本の労働者の賃金が安い理由

 では、なぜ日本だけで、「最低賃金を上げたら失業者増」というこの珍妙な経済観が根付いたのだろうか。

 ひとつにはこれまで述べてきたように、日本商工会議所など有力経営者団体と自民党がしっかりとタッグを組んで半世紀以上も「最低賃金の引き上げは恐ろしい」という常識を広めてきたことが大きい。これまで自民党議員は、最低賃金の引き上げを阻止すればするほど選挙に強くなるというインセンティブがついたからだ。

 そこに加えて、「賃金は低くていい」というのが日本の伝統的な美徳だったということも大きい。それが保守政党である自民党の政策的にもフィットしたし、保守的な考えの政治家も受け入れやすいということもあるだろう。

 実は日本の低賃金はこの30年の問題だと勝手に思い込んでいる人が多いが、日本が「高賃金」だった時代などほんのわずかで、日本は近代からずっと低賃金だ。

 例えば、今から88年前の経済書「平価切下とソシアルダンピングの話」(昭和9年 和甲書房)の中で、「日本の労働者の賃金は何故安いか」という問題が論じられている。低賃金の原因として、日本が世界第2位の人口密度をもっている「超満員の国」だからなどさまざまな考察がされているが、注目すべきは、現代にも通じる中小零細企業の問題を指摘していることだ。

「第三には我が国の企業組織だ。紡績業や鉄工業・船舶製造業等の如きは欧米各国に劣らぬ大規模な進んだ設備を持つているが、尚一般には小規模の手工業・家内工業が甚だ多く取り入れられている。(中略)家内工業の性質として、少ない資本で長い時間を働き。家族全体がこれを手伝って、一人前の仕事をするといふやうな事から、賃金はグッと低下される」(P.87)

 日本企業の99.7%は中小企業で、労働者の7割が働いている。中小企業の賃金が低いので、日本の賃金は低い。約90年前から日本の産業構造と、それがもたらす低賃金という問題は何ひとつ変わっていないのだ。

 このように、「小さな会社の賃金はグッと低下される」というのが日本経済の伝統だとすると、自民党が最低賃金の引き上げに消極的なのも納得ではないか。

 保守政党というのは基本的に、これまで続いてきたことを続けようという考えがベースにある。そこには科学的視点や合理性はない。「続いてきたことを守る」ということが何よりも大事なのだ。