年収200万円で豊かに暮らす道は
日本人にピッタリ!?

 低賃金を守る、という自民党の基本スタンスを多くの日本人は消極的だが受け入れている。

 今回、自民の公約から「最低賃金1000円」が落ちたということにも、ほとんど関心がない。「給料が上がらない」と文句は言っているが、そこにマグマのような怒りはなく、「まあしょうがないか」とあきらめてしまっている。

 これも約90年前から続く日本人の伝統である可能性が高い。先ほどの経済書が興味深いのは、日本人労働者が低賃金である理由として、日本人の国民性も指摘していることだ。

「第四には国民の生活が伝統的に、一般的に簡易だから、安い賃金でも暮し得る。第五に、日本人は個人主義的な欧米人と違ひ、家族主義であり、家族員各自の稼ぎを出し合つて暮しを立てて行く良風があるから、自然安い賃金でも満足している。第六に、日本は資源に乏しいから、どうしても賃金が安くなる。第七に、労働能力が低いから賃金も安い。これ等の事で、日本人は安い賃金でありながら大した苦痛を感じてはいないのだ」(同上)

 最近、「年収200万円で豊かに暮らす」という書籍タイトルが炎上したが、実はあれは日本人の本質をついている。我々は祖父母の世代から、「労働者ってのは低賃金で生きるものだ」と受け入れて、さまざまな理由をつけて自分たちを納得させてきた。一方、企業経営者や政治家という「上級国民」は、その低賃金労働者をこき使って、彼らがそこそこ満足をする豊かな社会をつくってやる。そういう役割分担がしっかりなされていた。

 今回の自民党の公約からも、そういう日本の伝統的な社会システムが、実が100年経過してもそれほど変わらず続いているという現実を浮かび上がらせている。

 中小企業経営者団体によれば昨年、日本は最低賃金を約3%ほど引き上げたが、経済に大変なダメージを負わせているという。物価高で疲弊する中小企業にはこれ以上の重い負担は課せられないという。

 世界とは全く逆の考え方だが、これが日本の伝統的な経済観なのだ。自民党も参院選で大勝すると言われているので、この流れは止められないだろう。そろそろ我々も悪あがきはやめて、先人たちのように賃金が上がらない事実を受け入れて、「年収200万円で豊かに暮らす道」を模索していった方がいいのかもしれない。

(ノンフィクションライター 窪田順生)