自分の中にある意欲や希望に「気づく」
共有することで「私」から「私たち」へ

小田 自分にとっての「ホーム」はどこか。自分にとっての「チーム」とは何か。一人一人、答えは違うでしょう。
私も、故郷、育った場所、青春時代を過ごした地、その後も世界中で自分のホームと思える場が増えてきました。そこかしこに、自分が関係性を持った人たちがいて、しばらくぶりでもチームを作ろうと思えば作れる。さまざまな場所にいる人たちのおかげで、そのつながりでチームを築ける可能性がある。
就職後、ずっと同じ会社にいるケースが減ってきているように、ひとつのチームにずっといることはないですし、あるチームの一員としてアクティブになってるときもあれば、あるところでは活動休止することもある。しかし、いつでもアクティブになれるし、また、そこに人の入れ替わりもあり得る。マルチホームというか、いろいろなところに場を持っている人は、志を重ねて、進めたいことが増えていく。
あるいは、大変な仕事だとしても、ホームの中でそれを乗り越えることで、自分も心が洗われて、結果、健康になっていくような、そのような仕事の仕方ができるホームもあるのではないかと思います。

井上 チームを考えるのに、「私がすること」と「私たちがすること」があると思います。
たとえば今、環境問題が大きな課題です。しかし、意図して地球を壊そうとしたり、朝起きて、「ああ、今日も順調に気候が異常だ、しめしめ」と思ったりする人はいない。でも私たちは、何となく物を捨ててしまったり、環境に良くないことをしてしまったりする。
そのとき、かすかに感じる心の痛みのようなものがあります。それがおそらく、「システム」を感じ取る力で、その痛みがあるということは、人間には本来、システムとのつながりを感じ、変えていく可能性があるという証拠だと思うんです。
「私」レベルの行動として、成人病になりたいわけではないのに、ジャンクフードの間食がやめられないなど、自分の目の前のアクションと、意図する未来の食い違いは必ずあって、その積み重ねが、望んでもいなかった結果につながってしまう。
それは、私と他者の関係という組織のレベルでもそうですし、もっと大きな、地球や自然界との関係においても、人間は同じことをしています。この意図と行動のギャップに気づいて、自分で新たな選択肢を生み出せるか、新しいパターンを始められるか、という実験と行動が重要だと思います。
何よりも、もし「現状の延長線上」ではない未来を欲するのであれば、どんな未来を実現したいのか、自分は本当には何を意図しているのかを、アートワークを行うとか、自然の中で過ごして体感するとか、いろいろな手法があります。まずは自分なりに見つけ、画素数を高めていくことが第一歩ではないでしょうか。

たとえば、「マイプロジェクト」(慶應義塾大学SFCの研究会の中で生まれた学びの手法)という活動があるのですが、自分が欲する未来を描いて、たとえば「英語が話せるようになりたい」から始まって、「家族との関係を変えてみよう」とか、ずっとやってみたかったことに取り組んでみる。
一日の限られた時間でいいので、自分が本当にしたいと思っていることを体感して、実際にやってみるチャンスをあげる。
そのことで、自分の中にある意欲や希望、やってみてわかる違和感にも出合い、より明確に実現したい未来に気づいていく。変化は、このように「私」に注意を向けることから始まります。
そして、それぞれが実践してみた「マイプロジェクト」を持ち寄って、共有し合う時間を持つ。そうすると、実は失敗やうまくいかなかったことに対してこそ、「いやいや、やってみたこと自体がすごい」という声が上がったりと、盛り上がる。「小さなイベントを開催したが、参加者が集まらなかった」と言うと、「それなら知り合いを連れてきたのに!」「こういう広報の仕方はどう?」「こういう人たちと連携するのは?」と、新たな選択肢とつながる機会となり、展開が膨らんでいく。
自分の気持ちやうまくいかなかったことを共有できる空間があり、そこで「私」がやってみたことを話すと、みんなが一緒に考え、それぞれが持っていた新しいリソースや選択肢が出現する。それこそが、「私」の物語が「私たち」に変わる瞬間なんです。「私」から始まり、多様な「私たち」につながることが、社会やシステムの変化につながっていく、大切な入口なんですよね。