売上高7600億円企業の創業者が語る「危機を乗り越え成長する会社」の特徴とはPhoto:PIXTA

1972年、26歳の時にパン屋の2階のオフィスでジャパンマクニクス(現マクニカ)を創業した神山治貴・マクニカ名誉会長。その後、マクニカは50年間で連結売上高7610億円、従業員数3900人の東証プライム上場企業に成長した。その道のりは決して平坦ではなく、特に「神山商店」からスタートして最初の5年間は、資金繰りなどがうまくいかずに四度も危機的状況に陥るなど、プレッシャーの多い時期だったという。創業社長なら誰もが通る道。この時期を乗り越えられずに消えていく会社もたくさんあるが、神山氏は「ピンチを生き残れる会社には特徴がある」と指摘する。神山氏の著書『経営の本質 すべては人に始まり人に終わる』から抜粋してお届けする。(マクニカ名誉会長 神山治貴)

起業後5年間で
四度の経営危機を経験

 起業してから最初の5年ほどで、危機的状況が四度起こった。ほとんどの場合、創業間もない会社が厳しい状況に陥るのは、人材面と資金面である。会社が小さいときには、なかなかいい人材を採用することができなかった。しかし、人を採用しないことには会社の成長も見込めない。

 一方の資金面では、幾度か資金が足りない状況に陥った。業績が厳しかったわけではない。むしろ、順調だったがゆえに、危機がやってきたのだ。黒字倒産などという言葉があることは知っていたが、まさか自分の会社がそんな状況になるとは夢にも思っていなかった。支払いと入金のタイミングが合わなければ、手元資金が一時的に足りなくなり、本当に会社は立ちゆかなくなるのである。

 担保がないので銀行はお金を貸してくれない。仕入先への支払いや社員への給与支払いが迫っているが、それを用立てるものがないのである。

 おかげで幾度も精神的に追い詰められた。十二指腸潰瘍を二度、胃潰瘍を一度、私は経験している。債権者が追いかけてくる夢を見たこともある。当時はベンチャーキャピタル(VC)もなく、資金調達にはとても苦労した。

 ただ、捨てる神あれば拾う神あり、という言葉の通り、助けてくれる人たちもいた。四度の危機のうち、三度を救ってくれたのは、お客様だった。ファナック、富士通、沖電気高崎の3社である。

 ファナックは今や世界一のロボットメーカーだが、当時は売上が200億円ほどの未上場の会社だった。毎日遅くまで社員はがむしゃらに働いていた。